【読書ルーム(13) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第1章  プロメテウスの揺籃の地 7/27 〜 ハイゼンベルクの青年時代〜 第一次世界大戦後のドイツの政治・社会と学問】  作品の目次

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【本文】

その頃、ドイツ人は第一次世界大戦中にドイツの敵国となったイギリスやフランスだけではなく、中立国だったデンマークやオランダの人々からも忌み嫌われていた。ボーイ・スカウトの国際大会であるジャンボリーにドイツの代表が参加できなかった時代である。ボーアはしかし、第一次世界大戦に関してはドイツの青少年に罪があるわけではなく、これからの平和な国際社会を築くためには次の時代を担う若いドイツ人との親交を深めることが不可欠だと考えていた。ライバルのアインシュタインアメリカやパレスチナ、アジアにまで足を伸ばし、ジャーナリストからの質問にユーモアで応対したりなどする積極的な活動家の平和主義者だったが、そのような才覚がないボーアは自分が出来る方法でもって科学者として国際平和に貢献しようとしていたのである。

一方、二十一歳のハイゼンベルクは人種や文化といった問題に関して見たことや聞いたことを素直に受け入れるという全く単純な姿勢しか持っていなかった。

 

ハイゼンベルクがゲッチンゲンに来るよりも少し以前、ドイツ各地に旅行して大学の公開授業に出席していた頃から、アインシュタイン相対性理論に関して、それが畢竟ニュートンが打ち立てた古典力学を刷新するものであるのかという問いに関して物理学者の間で熱い議論が戦わされていた。相対性理論の妥当性に真っ向から反対していたのは一九○五年にノーベル物理学賞を受賞したドイツ人のレナートだった。レナートは単に、ある学説の妥当性が認められるためには必須のアンチ・テーゼとしての反対を唱えていただけだったかもしれないが、兎にも角にも、レナートはアインシュタイン相対性理論を理由としてノーベル賞候補に挙げられる度に受賞に反対し、その結果としてアインシュタイン相対性理論に反対するレナートの学説には物理学を理解しない人々によって尾ひれがつき、ハイゼンベルクがゲッチンゲンに来た一九二二年には、前年にアインシュタイン相対性理論ではなく光電効果ノーベル賞を受賞したことを受けて「反ユダヤ学説学会」なる、学問を純粋に追求しようとしているヴェルナー・ハイゼンベルクにとっては滑稽で全く意味をなさない集会までが開かれて、ニュートン力学キリスト教徒ではなくユダヤ教徒によって刷新されたことに対する「反論」がなされていた。

ハイゼンベルクは当然のことながら、物理学を学ぶ学生としてアインシュタインの宗教や人種を相対性理論の価値や妥当性と結びつけることはなく、相対性理論には学問的な見地だけから関心を抱いていた。しかし、ボーアと親交を結んだ後、ハイゼンベルクは世界大戦の狂奔の中で思春期を過ごした自分には国際性が欠けているということを素直に認め、機会があれば是非、ドイツを離れてイギリスやデンマークでも勉強してみたいと思った。

ミュンヘンに戻った後、ハイゼンベルクはゾマーフェルト教授が不在の一年間だけゲッチンゲン大学に籍を移すことになったが、ゲッチンゲンに引越す直前の九月、ハイゼンベルクライプチヒで行われる公開講座を聴講するための小旅行に旅立った。前年のイエナでの公開講座の時と同様でアインシュタイン公開講座の直前に講演を辞退していた。ユダヤ系の外務大臣ワルター・ラテナウが暗殺されたことが辞退の理由だと噂されていたが、代って幅を利かせていたのはやはり実験物理の大家レナートだった。

 

​講演会場の入り口ではレナートの支持者らがビラを配っていたが、ビラの内容を読むにつれ、ハイゼンベルクの心は曇った。実験物理の大家であるレナートが理論物理学を机上の空論として排撃しようとすることまでは理解できなくはなかったが、アインシュタイン一般相対性理論はすでにイギリス人観測家エディントンによって一九一九年五月二十九日の日食の際に確認されていたのである。正しい推論は必ず実証されるはずで、反証されるまでは無闇に排撃されるべきではないのではないか、とハイゼンベルクならずとも良識のある知識人なら誰でも擁している常識を超え、レナートの支持者が配るビラはアンシュタインの相対性理論をあたかも全く根拠を欠く妄想であるかのように批判し、相対性理論を学問としてあり得べからざるもののように攻撃していた。こういった物理や数学の基礎知識もない人々の言葉と態度の間に見え隠れしていたのはやはり、ニュートン力学を刷新する新しい理論がユダヤ人によってもたらされたことに対する理由もない反感だったのである。

 

「頭が弱い人間や性格が歪んだ人間は政治上の間違った信念を科学にまで投影することがあるんだ。」とハイゼンベルクは現実を見つめて悲しく感じた。ハイゼンベルクが進路を選択するのに当たって政治と金儲けは真っ先に除外されていたが、純粋な学問であると信じて選んだ物理学の中で不純な考え方に出くわしたことはハイゼンベルクにとって大きな衝撃だった。しかし、そのせいでハイゼンベルクの物理学に対する情熱が冷めることはなかった。結果はむしろ逆だった。

 

ハイゼンベルクが後に深く関わることになる、ゲーテゆかりの地ライプチヒへの初めての旅はレナート一派のアインシュタインに対する根拠を欠く攻撃によってハイゼンベルクを不快にしただけではなかった。ハイゼンベルクは滞在したユース・ホステルで持ち物のほとんどを盗まれ、意気消沈してミュンヘンに帰宅した。

 

​一ヶ月ほど後の十月、ハイゼンベルクは一年間の予定でゲッチンゲン大学のボルン教授のもとに旅立った。

(読書ルーム(14) に続く)

 

 

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