【読書ルーム(36) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜科学の教皇旧大陸を去る 3/8 】. 作品目次

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【本文】

ゲッチンゲン大学の教授の中では第一次大戦中に軍功によって鉄十字勲章を受賞したジェームズ・フランクが早々とナチス政府の非道を糾弾する発言をし、政府に釈明を求められたフランクは大学教授の職を自ら辞して政府に抗議した。アメリカの首都ワシントンDCに近接する都市ボルチモアジョンズ・ホプキンス大学がジェームズ・フランクを教授に迎え入れられることになる。

 

今一人、ハイゼンベルクの師だったマックス・ボルンも、キリスト教に改宗済みのユダヤ人だったが、ナチスに追われるまでもなく、ナチスが支配するドイツで学究に専念することを潔しとせず、ゲッチンゲンを去ってイギリスの大学で教鞭を取る道を模索し始めた。これを聞いたハイゼンベルクは機会を捕らえる毎に理論物理学への道への導き手となった恩師の一人に対して「このような非道な政府が長く続くはずはありません。どうか、我慢して耐えてください。」と説いた。政治的な信念を持つアインシュタインやジェームズ・フランクがドイツを去ることはしかたがないとして、政治とは全く無縁で理論の世界の大家であるボルン教授がドイツを去る必要は全くないとハイゼンベルクは信じていた。

 

ライプチヒ大学の教授に就任するまでは物理学の理論を極める修行の目的でミュンヘン、ゲッチンゲン、ベルリン、コペンハーゲンなどの各都市の間を往来していたハイゼンベルクは、ノーベル賞受賞者となった今や、ドイツの学問水準の維持のために奔走せざるを得なくなった。ハイゼンベルクはベルリンに赴き、ハイゼンベルクが属するコペンハーゲン学派の学問上での宿敵だった保守派物理学者のプランクと語り合い、ユダヤ人の科学者が政府から補助を受けているドイツ国内の大学に残ることができないならば、ドイツ国内外の財団からの援助によって運営されている研究所で研究を続けられるようにはからうことに決めた。プランクハイゼンベルクの計画によってドイツ国内に残って研究を続けたユダヤ人科学者の中には電磁波を発見してマックスウェルの理論を証明し、ジェームズ・フランクと共に電子照射の物質に与える影響を研究し。その功績によって一九二五年に共同でノーベル賞を受賞したグスタフ・ヘルツがいた。また、アインシュタインをして「フランスにキューリー夫人がいるならドイツにはマイトナー女史がいる。」と言わせたリーゼ・マイトナーベルリン大学の教授の職を解かれた後もカイザー・ウィルヘルム研究所に留まることになった。マイトナーはオーストリア国籍を保持していたのでドイツの政府は彼女にはめったなことでは手を加えることがないであろうという期待があったのでドイツに居残ることになったのであるが、それ以上に、マイトナー自身が長年共に研究を行ってきたオットー・ハーンとカイザー・ウィルヘルム研究所の実験設備からどうしても離れることができなかったハイゼンベルクはさらにコペンハーゲンに足を伸ばし、師のボーアに、ドイツ国内の研究所で世話しきれないユダヤ人をなるべく多く採用するよう要請した。しかし、ミュンヘン大学のゾマーフェルト教授に師事して以来、ゲッチンゲン大学のボルン(ボーン)教授、そしてコペンハーゲンのボーアというように共通の理論物理学の大家に師事し、同じ道を歩いてきたハイゼンベルクの親友ヴォルブガング・パウリはチューリヒ大学で教鞭を取る傍ら、ボランティア組織の先頭に立ってドイツ国内で迫害されつつあるユダヤ人科学者の経歴や業績を丹念に調べ上げ、イギリスやアメリカの大学に世話をするという活動を開始した。また、自分自身はユダヤ人ではないベルリン大学シュレジンガーまでが、恩師であるアインシュタインを追放したナチス政府に愛想をつかしたのか、海を渡ってイギリスのオックスフォード大学に去ってしまったのである。ハイゼンベルクプランクにはもはやドイツの学問水準の低落を食い止める術はなかった。

 

ハイゼンベルクにとってさらに痛手となったのは、ゲッチンゲンとミュンヘンの間を行き来していた学生時代に「頭が弱い人間や性格が歪んだ人間は政治上の間違った信念を科学にまで投影することがあるんだ。」とハイゼンベルクを嘆かせた、科学の理論と歪んだ思想信条を区別できない人々、そしてそれらの人々が祭り上げていたノーベル賞受賞者のレナート、シュタルクといった実験物理学者と彼らの後裔がドイツの物理学会を自らに都合のよいように支配しようとする画策を開始したことだった。これらの保守的な純粋ドイツ人(アーリア人)の物理学者たちはユダヤ系の科学者が築いた理論物理学、とりわけアインシュタイン相対性理論を大学で教えることを声高に批難した。恩師ボルンが終にイギリスに去ってしまった後、ハイゼンベルク相対性理論を学生に対して教えるために孤軍奮戦を強いられることになったのである。そして友人、親戚などのつてを通じてハイゼンベルクが学問成果の普遍的価値とその重要性をナチス政府の要人に訴え、終にアインシュタインの名前を出すことなく相対性理論を講義する許可を得るまで、ハイゼンベルク自身までもが狂信的な反ユダヤ主義者の詮索の眼に曝されることになった。アインシュタインの名前を出さないことを条件として相対性理論を教えてもよいという勝利を辛くも勝ち取った後、ハイゼンベルクはただひたすらナチスが支配する政治の世界に耳と目を閉ざし、理論物理学の研究と学生の指導に専念することになる。多忙な中にも自らの役割と大学教授の職の中における安定を見出した一九三六年、ハイゼンベルクは趣味の音楽を通じて知り合った十歳年下の女性と結婚し、師のニールス・ボーアと同じように大勢の子供に恵まれ、幸せな家庭を築いた。

(読書ルーム(37) に続く)

 

【参考】

オットー・ハーン (ウィキペディア)

 

リーゼ・マイトナー (ウィキペディア)

 

マックス・プランク (ウィキペディア)

 

エルヴィン・シュレジンガー (ウィキペディア)

 

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