【読書ルーム(14) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第1章  プロメテウスの揺籃の地 8/27.〜 ハイゼンベルクの青年時代〜 隆盛を極めるドイツの学府(1)】  作品の目次

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【本文】

その頃、ゲッチンゲン大学の物理学科の教授には理論物理学の大家で学生指導で定評のあるマックス・ボルン教授の他にも数々の有名な物理学者や名物教授がいた。学問業績と言動の両方で著名な名物教授には実験物理学の権威であるジェームズ・フランクがいた。フランク教授は象牙の塔に閉じこもる蒼白い学僕ではなく、第一次世界大戦に従軍し、目覚しい活躍によって鉄十字勲章を授与されていた。フランクは周波数の単位に名前を残しているグスタフ・ヘルツと共に気体への電子線照射の研究を行い、一九二五年にはヘルツと共同でノーベル物理学賞を受賞することになったが、その際にはゲッチンゲン大学が全学を挙げて祝賀パレードを行うほど、この二人の物理学者は慕われていた。しかし、その後の社会の動乱は二人の協力関係を引き裂き、それぞれの運命を全く違った方向へと導いた。ヘルツはユダヤ人であるのにもかかわらず、ドイツで研究を続け、第二次世界大戦後にはソ連の科学技術の進歩に貢献してスターリン勲章を受章し、その一方でフランクはナチスの台頭と共にドイツを追われ、アメリカに移住してヘルツとは対照的な人生を送ることになる。

 

ヴェルナー・ハイゼンベルクが師事したマックス・ボルンはベルリンで活躍していたフリッツ・ハーバーと同じく、現在はポーランド領となっているブレスローでユダヤ人の家庭に生まれたが、フリッツ・ハーバーに倣ってユダヤ教から妻の宗教である保守派プロテスタント教徒に改宗していた。そしてナチスの台頭後は自分の信条と自ら選んだ宗教の考え方からゲッチンゲンを去り、イギリスのエジンバラ大学で教鞭を取る間にイギリス国籍を取得し、ドイツやオーストリアに残る複数の教え子たちがノーベル賞を受賞した後の一九五四年、七十二歳の時に原子核内部における電子の自転(スピン)に関する業績によってイギリス人としてノーベル賞を受賞することになる。

 

​一九二○年代にマックス・ボルン教授に師事した学生の中で風貌の上で最も目を引いたのは、鉛筆のようにやせ細った身長百八十センチあまりの体をいつでも窮屈そうに折り曲げているアメリカ人ジュリアス・ロバート・オッペンハイマーだった。

 

オッペンハイマーは祖父の時代にドイツからアメリカに一家をあげて移住したユダヤ人商人の息子としてニューヨークに生まれた。ハドソン河を見下ろす豪華なアパートに住み、ロングアイランドとニュー・メキシコ州に別荘を持ち、商人としてやり手の父と芸術全般に造詣の深い母による訓育を受け、何一つ不自由のない少年時代を送ったオッペンハイマーアメリカ最古の歴史を誇るハーバード大学で化学を専攻し、通常なら四年かかる課程を三年で、しかも優等賞を授与されて終えていた。大学卒業後、オッペンハイマーは専門を化学から物理学に変え、さらに高度な知識の習得を目差してイギリスのラザフォード教授のもとに留学したが、由緒あるカベンデッシュ研究所の研究員兼ケンブリッジ大学教授でイギリス科学界の重鎮だったラザフォードはオッペンハイマーを助手の地位に留めて冷遇し、子供の頃から挫折を経験したことのなかったオッペンハイマーは矜持をくじかれてひどい憂鬱症に陥った。そのオッペンハイマーゲッチンゲン大学に来ることになったきっかけは、たまたまカベンデッシュ研究所を訪問したマックス・ボルンに多国語に通じたオッペンハイマーがドイツ語 = で声をかけたことだった。

 

オッペンハイマーは少年時代から自然や美術や音楽を好んだが、また、世界の様々な言語の習得にも並大抵ではない熱意をもっていた。祖父の国の言葉であるドイツ語 = だけではなく、大学時代には中国語を学び、さらにはヒンヅー語やサンスクリット語などの東洋の言語もいつかは習得したいとオッペンハイマーは考えていた。

 

​マックス・ボルン教授の誘いを受け、カベンデッシュ研究所を半年在籍しただけで後にし、ドイツのゲッチンゲンに来てみたものの、オッペンハイマーのドイツ語は十分ではなく、しかも物理学が使用する世界共通言語である数学の知識も十分だとは言えず、オッペンハイマーはまたもや矜持をうち砕かれてしばしば深刻な憂鬱症に陥った。ハーバード大学にいた頃からオッペンハイマーは超人的な努力で実験を含む各科目の学習をこなす反面、時たま箍(たが)が外れたように深い憂鬱症に陥った。そして、その憂鬱症を克服する上で最も効果があるのは優れた芸術、とりわけ詩に接することだということをオッペンハイマーは自覚していた。文化も言葉も異なるゲッチンゲンでオッペンハイマーは自分の中に巣食う憂鬱症という悪魔を克服しようともがいた。数学で表される自然の法則に関心をもつ傍ら、数学では表されえない人間の真実や運命を探ろうと、オッペンハイマーはイタリア語を習得してダンテの「神曲」を原文で読もうと試みた。オッペンハイマーの眼には楽々として授業についていっているかのように見えるドイツ人の学生が脅威に映った。これが、後に「オッピー」の愛称で親しまれ、磁石のような人柄で人々をひきつけ、アメリカ史上空前の予算規模で実行された原子力開発計画、いわゆるマンハッタン計画において複数のノーベル賞受賞者や受賞候補者を含む数千人の科学者や技術者の頂点に立ったJ・ロバート・オッペンハイマーの青春時代の姿である。

(読書ルーム(15) に続く)

 

 

【参考】

ジェイムズ・フランク (ウィキペディア)

グスタフ・ヘルツ (ウィキペディア)

 

ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー (ウィキペディア)

 

 

 

【解説】

ドイツの理論物理学ハイゼンベルクの青年時代に至る生い立ちをここまで読まれた読者の方はハイゼンベルクがこれから原子力開発に関わっていくだろうと期待されるかもしれない。ハイゼンベルク原子力開発に貢献したのk、その答えはイエスでもありノーでもある。ただ確かなのはアメリカにおいてアメリカが第二次世界大戦に参戦する少し前に「マンハッタン計画」という名称を与えられて遂行された原子力開発計画に主な立役者として携わった物理学者や放射性物質に詳しい化学者の全員がハイゼンベルクの人となりを知っていたということである。同じことは日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹についても言える。湯川秀樹はドイツ語と英語で冗談を飛ばす気さくな人柄で欧米の物理学者の間で知られ、戦前まだ未婚で小川姓だった頃から日本人ノーベル受賞者の第一号になるともくされていた。

 

 

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