【 『プロメテウス』第1章 プロメテウスの揺籃の地 27/27. 〜 ハイゼンベルクの青年時代〜 若きハイゼンベルクの金字塔】 作品の目次
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【本文】
結局は考え方に賛同する科学者の人数ではボーアが、議論そのものでは口の達者なアインシュタインが口下手なボーアに対して勝ちを占めた形で物理学会は解散し、アインシュタインは「神はさいころ遊びのように宇宙を造ったのではない。」という有名な言葉を吐き捨てて、理論物理学の双璧をなす二人はそれぞれの国に帰っていった。
アインシュタインは海図のない海での航行に乗り出してしまったような量子力学にも認めるべき点は多くあるとは考えていた。しかし、自分がかつてニュートンの古典力学を否定するのではなく、古典力学を包括する理論体系として相対性理論を打ち立てたように、運動全般の力学と電磁場力学が統合することによって必ずや量子力学を包括する理論体系が生まれるだろうと考え、アインシュタインは量子力学を一方的に攻撃するのではなく、運動力学と電磁力学を統合する、いわゆる「統一された場の理論」の構築に一層深く沈潜するようになっていった。
社会不安がドイツの人々を覆う中、一九三二年にはヒトラーを党首とする国家社会主義労働党はドイツ国会の与党となるまでに躍進した。この年の秋、いまだつつましい独身の学僕だった三十一歳のヴェルナー・ハイゼンベルクにノーベル物理学賞が授与されることが決定した。受賞の理由は科学史上でハイゼンベルクの名前を不朽のものにするかもしれない不確定性理論ではなく、その構築に先立ってハイゼンベルクが一九二五年、二十四歳の時に発表した論文が量子力学の完成度を高めたということだった。ハイゼンベルクのノーベル賞受賞理由はアインシュタインが相対性理論ではなく別の理論によってノーベル賞を受賞したのと似通っていた。ノーベル賞選考委員会はハイゼンベルクの不確定性理論に対する評価を保留した。ハイゼンベルクがノーベル賞を受賞するにあたり、ニールス・ボーアやマックス・ボルンがハイゼンベルクの業績を高く評価し、機会がある毎にハイゼンベルクを推したのは当然であるが、ハイゼンベルクへの不確定性理論によるノーベル賞授与を強く促した科学者の中にはアインシュタインがいた。
先輩であり好敵手でもあったヴォルフガング・パウリを出し抜いて決まったノーベル賞受賞にハイゼンベルクは驚き、喜んだ。若いハイゼンベルクのノーベル賞受賞はドイツ国民の心にささやかな希望の灯火をともし、「二十四歳の時に発表した理論によってノーベル賞を受賞した男」としてハイゼンベルクは世界中の科学者から大きな畏敬の念を集めるようになったのである。
(読書ルーム(34) 第二章 新時代の錬金術師たち に続く)
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