【読書ルーム(63) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第3章  プロメテウスの目覚め〜預言者たちは走る 4/7】 作品目次

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【本文】

夏になる前にニールス・ボーアアメリカでの日程を終えてデンマークに帰国した。大学が夏休みになるとボーアの教え子のヴェルナー・ハイゼンベルクが入れ替わりにドイツから海を越えてニューヨークに到着し、夏休み中もニューヨークに残っていた科学者らがコロンビア大学を訪問したハイゼンベルクを迎えた。他の著名な外国人大学教授と同じく、ハイゼンベルクアメリカのいくつかの大学から夏期講習や特別授業の講師として招かれていたが、ハイゼンベルクアメリカを訪れた最大の目的は、訪米中にできる限り多くのユダヤ人亡命科学者と面談し、彼等にドイツの政権が交代した暁にドイツに戻る意思があるかどうかを問いただし、戻る意思がある者については研究の進捗状況などを確認した上でドイツに帰国した後の彼らの受け入れ先を考慮することだった。ハイゼンベルクの恩師の一人である元ゲッチンゲン大学教授のマックス・ボーンはナチスの台頭と同時に宗教的な確信からドイツを去ってイギリスのエジンバラ大学の教授に就任していたが、そのボーン教授がイギリスへの帰化の手続きを進めているという知らせがハイゼンベルクを悲しませ、ハイゼンベルクはドイツの将来を思って一層悲観的になっていた。ハイゼンベルクはドイツの科学の水準は自分の双肩にかかっていると常に感じていた。ハイゼンベルクが到着後に最初に訪れたコロンビア大学の理学部長ペグラムはハイゼンベルクの輝かしい業績と報道されているナチス・ドイツの暴虐を思い、人類全

体とコロンビア大学理学部の双方に資するに違いないと考えて一九三七年にすでにハイゼンベルクに対して行っていたコロンビア大学教授に就任する意思の有無を繰り返さないわけにはいかなかった。核分裂という物理化学上の革新的な発見が恐るべき結果をもたらすかもしれないというシラードの懸念を念頭に置き、ペグラムはいっそう熱心にコロンビア大学教授への就任の意思の有無をハイゼンベルクに尋ねた。

「当大学の教授のポストをどうしても引き受けていただくわけにはいかないのでしょうか?」

ペグラムのこの質問に対するハイゼンベルクの回答は当然のことながらいたって簡単だった。

「ドイツが私を必要としています。」

 

ハイゼンベルクにとってはユダヤ人の教員が去った後のドイツの大学で残ったキリスト教徒の純粋ドイツ人(アーリア人)の教授が以前よりも多くの授業を任され、時間も協力者も減った厳しい研究環境の中で教育と研究の両面での学問の水準を維持することが目下の唯一の課題であり、外国の大学からいくら条件の良い招聘を受けたところでドイツの大学の現状を見捨てるわけにはいかなかったのである。ハイゼンベルクの回答に接したコロンビア大学当局者はこの提案を再び持ち出すことはなかった。ハイゼンベルクアメリカ大陸を横断し、サンフランシスコからほど遠くない大学街バークレーでゲッチンゲンで共にマックス・ボーン(ボルン)教授に師事したオッペンハイマーと再会した。

 

オッペンハイマーと何人かの大学院生を交えた懇談会でハイゼンベルクは坂の街サンフランシスコの見事な景観と路面電車について陽気に感想を述べ、サンフランシスコ市内の交通制御に科学的な仕組みが取り入れられていることを指摘した。それからオッペンハイマーが指導する大学院生らが自分の研究テーマについて順に語った。ドイツ人ハイゼンベルクがいなければ、このような気楽な集まりでの彼らの話題は前年の暮れにドイツのオットー・ハーンによって確認された核分裂のことだけだったが、オッペンハイマーが提供した話題は専ら自分が目下研究対象としている宇宙理論についてであり、また、ドイツ人科学者であるハイゼンベルクを目の前にして、その他の全員が暗黙のうちに核分裂の話題をさけたxxx[4]。

 

サンフランシスコでオッペンハイマーとの旧交を温めた後、ハイゼンベルクシカゴ大学で開催された宇宙線に関する学会に出席し、学会の主催者であるシカゴ大学教授でノーベル賞受賞者のアーサー・コンプトンと懇談の機会を持った。ハイゼンベルクが祖国ドイツを愛するのと同じ程度に祖国アメリカに根付く民主主義と自由の価値を信奉していたコンプトンは、話題を科学から目下の政治情勢に移すことに躊躇しなかっが、ハイゼンベルクはコンプトンに向かってナチス政府はヨーロッパ全土を手中に収めようと画策しており、戦争が不可避であるとつつみ隠さずに述べた。

「そうしたらアメリカはどうするだろう?」というハイゼンベルクの問いに対してコンプトンは「フランスがドイツの手に落ちればイギリスが黙ってはいない。そのイギリスが万が一窮状に陥ればアメリカは必ずやイギリスに味方するだろう。と述べた。」「アメリカ人は平和を愛する国民で選挙の結果なども、アメリカ国民が戦争を嫌うということを示しているが、なぜそう思うのか?」と聞き返したハイゼンベルクにコンプトンは「アメリカ人は平和を愛するが、いざとなったら正義のためにとことん戦う。」と答えた。ハイゼンベルクがなおも「その根拠は?」と尋ねるとコンプトンは傲然として「アメリカ人の血の中に建国以来流れている精神だ。」と答えたxxxi[5]。

(読書ルーム(64)に続く)

 

【参考】

アーサー・コンプトン (ウィキペディア)

 

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