プロメテウス達よ (付記 - 科学者の名簿)

プロメテウスの名簿(五十音順 科学者のみ)本文中のリンク先はウィキペディアです。   作品の目次

 

アインシュタイン、アルバート (1879 - 1955) 国籍:ドイツ→スイス→オーストリア→ドイツ→アメリカ。1912年に特殊相対性理論を発表。1921 年に光電効果によって単独でノーベル物理学賞を受賞し、記念講演で相対性理論を説明する。相対性理論は核エネルギーの存在に理論的根拠を与えた。


アルヴァレス、 ルイス (1911 - 1988) 国籍:アメリカ。1968 年に素粒子物理学への貢献によってノーベル物理学賞を受賞。広島・長崎に原爆を投下した戦闘機に従う飛行機にマンハッタン計画に参加した科学者を代表して搭乗した。


ウィグナー、ユージン(1902 - 1995) 国籍:ハンガリーアメリカ。1963 年に原子核理論および素粒子論への功績によってマリア・ゲッパート・メイヤー、ヨハネス・ハンス・イェンセンと共にノーベル物理学賞を受賞。レオ・シラード、エドワード・テラーと共にアインシュタインに働きかけて原子力開発をアメリカ大統領に要請する手紙をまとめた。マンハッタン計画では増殖炉の開発を担当した。


エディントン、アーサー (1882 - 1944) 国籍:イギリス。クェーカー教徒で平和主義者の天文学者・物理学者。アインシュタイン一般相対性理論ニュートン力学からの乖離によって証明するために大西洋で日食を観測した。


オッペンハイマー、ジュリアス・ロバート (1904 - 1967) 国籍:アメリカ。マンハッタン計画の科学者・技術者の頂点に立った。マンハッタン計画において四人の構成員からなる科学者の最高意思決定機関、科学者小委員会の構成員でもある。


キューリー、イレーヌジョリオ=キューリー、 イレーヌ

キューリー、 マリー (1867 - 1934) 国籍:ポーランド→フランス。1903 年に放射現象研究の功績によってアンリ・ベクレルと夫ピエール・キューリーと共にノーベル物理学賞を受賞。1911 年にはラジうムの化学的性質を明らかにした功績によってノーベル化学賞を単独受賞。


キューリー、ピエール (1959 - 1906) 国籍:フランス。1903 年に放射現象研究の功績の功績によってアンリ・ベクレルと妻マリー・キューリーと共にノーベル物理学賞を受賞。

ゴードスミット(オランダ語 = ハウシュミット)、サミュエル (1902 - 1978) 国籍:オランダ→アメリカ。マンハッタン計画の一環として行われた、ドイツおよびナチス・ドイツ支配下にあった地域における原子力開発状況を調査するアルソス・ミッションで科学者としての最高責任者の地位に就いた。ナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧の開始以前にアメリカに移住し、多くの科学者をアメリカに招い
た。

コンプトン、 アーサー (1892 - 1962) 国籍:アメリカ、1927 年にコンプトン効果の発見および解析によってノーベル物理学賞を受賞。その後シカゴ大学宇宙線の研究に携わったが、一九四一年の始めに「原子力開発に携わったことがなく、かつ説明を聞けば内容を容易に理解できる。」という条件を満たす科学者としてアメリカ各地で行われていた原子力関連の研究をまとめるようヴァネヴァー・ブッシュを委員長とする国防研究委員会から要請を受けた。マンハッタン計画の進行中はシカゴ大学原子力関連の基礎研究を指揮した。同計画において四人の構成員からなる科学者の最高意思決定機関、科学者小委員会の構成員でもある。

 

シーボーグ、 グレン (1912 - 1999) 国籍:アメリカ。プルトニウムを始めとする超ウラン人造元素生成の功績によってエドウィン・マクミランと共に 1951 年にノーベル化学賞を受賞。


シュレジンガー、エルヴィン (1887 - 1961) 国籍:オーストリアアイルランド。1933 年に原子理論を新しい観点から纏め上げた功績によってポール・ディラックと共にノーベル物理学賞を受賞。


ジョリオ、 フレデリックジョリオ=キューリー、フレデリック

ジョリオ=キューリー、 イレーヌ (1897 - 1956) 国籍:フランス、ピエール・キューリーマリーキューリーの長女。1935 年人工放射線元素の発見によって夫フレデリック・ジョリオと共にノーベル化学賞を受賞。


ジョリオ=キューリー、 フレデリック (1900 - 1958) 国籍:フランス、1935 年人工放射線元素の発見によって妻イレーヌ・キューリーと共にノーベル化学賞を受賞。ナチス・ドイツの侵攻によって苦汁をなめ、共産党に入党した。


シラード、 レオ (1898 - 1954) 国籍:オーストリアハンガリーアメリカ。ベルリン大学のマックス・フォン・ラウエの元で熱力学を研究し冷凍設備などの基礎となる特許を取得する。後イギリスを経てアメリカに移住する。原子力開発の可能性をいち早く察知し、数人の亡命ユダヤ人科学者と共にアインシュタインを動かしてアメリカ大統領に宛てた原子力開発推進の助成を要請する書簡を作成する(アインシュタインが署名)。日本への原子爆弾投下後は核兵器拡散の防止や米ソ間のホットラインの開設などに奔走した。


セグレ、 エミリオ (1905 - 1989) 国籍:イタリア→アメリカ。ユダヤ人物理学者。ローマ大学エンリコ・フェルミに師事し、パレルモ大学の教員となるがアメリカ訪問中に母国でユダヤ人対策が強化されて大学教員の地位を失ったため、帰国を断念してアメリカに帰化した。1959 年、反陽子発見の功績によってオーウェンチェンバレンと共にノーベル物理学賞を受賞。


チャドウィック、 ジェームズ (1891 - 1974) 国籍:イギリス。1935 年に中性子発見の功績によってノーベル物理学賞を受賞。第二次世界大戦中。イギリスにおける原子力開発の事実上の最高責任者。デンマークから亡命してきたニールス・ボーアに対して聞き取りを行い、またアメリカのマンハッタン計画に同行したりした。


ディラック、 ポール (1902 - 1084) 国籍:イギリス。1933 年に原子理論を新しい観点から纏め上げた功績によってエルヴィン・シュレジンガーと共にノーベル物理学賞を受賞。


デバイ、 ペーター (1884 - 1966) 国籍:オランダ→アメリカ。1936 年には双極子モーメント、X 線および電子線による分子構造の解明によってノーベル化学賞を単独受賞。ナチス・ドイツが政権を掌握した際にオランダ国籍であるにもかかわらずベルリンの国立カイザー・ウィルヘルム研究所の所長を勤めていたがドイツ国籍取得を迫られたためにアメリカに亡命。後のマンハッタン計画の中核となる人物らにナチス・ドイツ政権したのカイザー・ウィルヘルム研究所の人事や予算の情報を与え、彼らに間接的に原子力開発の推進を促した。


テラー、エドワード (1908 - 2003) 国籍:ハンガリーアメリカ。ユダヤ系の物理学者。レオ・シラードユージン・ウィグナーらと共にアインシュタインに働きかけて原子力開発をアメリカ大統領に要請する手紙をまとめた。オッペンハイマーとは文学・芸術を共に愛好する友人同士だったが、マンハッタン計画においては科学者を統括したオッペンハイマーとの仲は必ずしも良好ではなく、戦後の冷戦下ではオッペンハイマーに不利になる証言をして他大多数の科学者の反感を買った。「水爆の父」とも呼ばれる。ロナルド・レーガンの政権下でSDI(Strategic Defensive Initiative)の技術顧問となった。変ったところではスタンリー・キューブリック監督の映画作品「博士の異常な愛(Dr. Strangelove)」の主人公のモデルとされる。

【映画ルーム(160) 博士の異常な愛情 〜 古色蒼然の恐怖戯画… 6点】

https://kawamari7.hatenablog.com/entry/2020/12/31/214805


ド・ブロイ、プランス・ルイ (1892 - 1087) 国籍:フランス。1929 年に電子の波動的特性を総括した功績によってノーベル物理学賞を受賞。

 

仁科芳雄 (1890 - 1951) 国籍:日本。ニールス・ボーアに師事し、ボーアの門下の物理学者と親交があった。広島に投下された新型の爆弾を原子爆弾であると認定した。


ハーン、 オットー (1879 - 1968) 国籍:ドイツ。1944 年に核分裂の確認の功績によって単独でノーベル化学賞を受賞。ドイツ敗戦後、いわゆる「エプシロン計画」によってヴェルナー・ハインベルクやマックス・フォン・ラウエらを含む他九人の科学者らと共に半年間イギリスに抑留される。

ハイゼンベルク、ヴェルナー (1901 - 1976) 国籍:ドイツ。1932 年、量子力学の発展への功績によってノーベル物理学賞を受賞。ナチス・ドイツの下でベルリンにある国立研究所の所長とライプツィヒ大学の教授を兼任した。ドイツ敗戦後、いわゆる「エプシロン計画」によってオットー・ハーンやマックス・フォン・ラウエら他九人の科学者らと共に半年間イギリスに抑留される。


パウリ、ヴォルブガング (1900 - 1958) 国籍:スイス。1945 年にパウリ原理と呼ばれる排他律を発見した功績によってノーベル物理学賞を受賞。


フェルミ、エンリコ (1901-1954) 国籍:イタリア→アメリカ、1938 年に中性子線放射によって新放射線元素の存在を証明した功績によってノーベル物理学賞を受賞。一九四二年に核分裂の連鎖反応を惹起することに成功。マンハッタン計画において四人からなる科学者の最高諮問機関、科学者小委員会の構成員のうちで唯一の外国出身者だった。マンハッタン計画の関係者の間でしばしば「水先案内人(パイロット)」または「提督(アドミラル)」と呼ばれる。


フォン・ラウエ、マックス (1879 - 1960) 国籍:ドイツ、1914 年にX線解析による結晶分子構造の解明の功績によってノーベル物理学賞を受賞。アインシュタインとは彼が学会に認められていなかった頃からの友人でナチス・ドイツ下で英米の多数の大学に招聘されたものの「限られた教授の席をユダヤ人科学者に譲るため」と公然と宣言し、ナチスに対する抗議のためベルリン大学の教授職を辞しながらもドイツに残った。ドイツ敗戦後、いわゆる「エプシロン計画」によってヴェルナー・ハインベルクやオットー・ハーンら他九人の科学者らと共に半年間イギリスに抑留される。


フランク、ジェームズ (1882 - 1964) 国籍:ドイツ→アメリカ。1925 年電子の動きに法則を見出した功績によってグスタフ・ヘルツと共にノーベル物理学賞を受賞。その後、フランクはナチス・ドイツを公然と批判してゲッチンゲン大学を辞してアメリカに渡り、当初はボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス大学マンハッタン計画が開始して後はシカゴ大学で研究を行った。ハロルド・ユーリーが指揮を執ったウラニウム235のガス分離法は彼の考案による。ドイツ降伏後に日本への原子爆弾の使用を核兵器拡散防止の観点から反対するいわゆる「フランク・レポート」をシカゴ大学で研究に従事していたレオ・シラードや生物学者のラビノヴィッチらの協力を得て起草するが、その先見の明とは裏腹にレポートは無視された。


プランク、マックス (1858 - 1947) 国籍:ドイツ。1918 年、エネルギー量子発見の功績によってノーベル物理学賞を受賞。量子力学の祖とされる。

 

フリッシュ、 オットー (1904 - 1979) 国籍:オーストリア→イギリス。1938 年暮に偶々休暇で滞在していた伯母のリーゼ・マイトナーの住居でドイツのオットー・ハーンが伯母宛に提出した解析結果に接し、伯母と共に核分裂によるエネルギー放出を説明し、その後当時所属していたコペンハーゲンの国際研究所所長であるニールス・ボーアに内容全体を報告した。この後、フリッシュはイギリスに移住し、イギリス人として原子力開発の基礎研究に携わることによってマンハッタン計画に参加し、核分裂の連鎖反応に必用ウラニウム同位体の臨界量を正確に予測するなどの功績を残した。


ベーテ、ハンス (1906 - 2005) 国籍:ドイツ→アメリカ。1967 年に原子核反応理論への貢献、特に恒星内部における原子核反応を解明した功績によってノーベル物理学賞を単独受賞。オッペンハイマーの信頼が厚く、マンハッタン計画においてロス・アラモスで理論部の部長を務めた。


ベクレル、 アンリ (1852 - 1908) 国籍:フランス。1903 年放射線発見の功績によってマリー・キューリーとピエール・キューリー夫妻と共にノーベル物理学賞を受賞。


ボーア、ニールス (1885 - 1962) 国籍:デンマーク、1922年、原子核構造を解明した功績によってノーベル物理学賞を単独受賞。デンマークの首都コペンハーゲンに国際的かつ学際的な研究所を創設し、多くの科学者を育てた。ユダヤ人であるのにもかかわらず、ナチス・ドイツ占領後のコペンハーゲンに一九四三年の夏まで留まった。一九四三年の夏に危険を冒してスエーデン経由でイギリスに渡った後、英米間を往復して両国で原子力開発に携わる科学者らの精神的支柱となった。


ボルン(英語 = ボーン、マックス (1882 - 1970) 国籍:ドイツ→イギリス。1954 年に波動関数の解釈に関わる功績によってヴァルター・ボーテと共同でノーベル物理学賞を受賞。ゲッチンゲン大学の教授だった頃からハイゼンベルクやパウリを含む多くの優秀な物理学者を育てた。ナチス・ドイツを嫌ってイギリスに移住した後も後進の育成に熱心だったが、平和主義者を自称して原子力開発を含む戦争への関与はあらかじめ拒否し、当局もマンハッタン計画への協力を彼に要請することはなかった。


マイトナー、 リーゼ (1878 - 1968) 国籍:オーストリア→ドイツ→スエーデン(オーストリアからドイツへの国籍変更はナチス・ドイツオーストリアを併合したことによる)。ユダヤ人女性物理学者。早くから極小の原子の世界を理解するためには物理学者と化学者の協力が欠かせないことを見抜き、ベルリンで研究していたオットー・ハーンを協力者に選んだ。ハーンとの三十年に渡る協力関係の最後の数年はナチス・ドイツに脅かされ、研究成果はハーンの名前だけを冠して発表し、生活費は心ある同僚科学者らが工面した。ナチス・ドイツによる母国オーストリア併合を機会に終にドイツを去り、オランダ、次いでスエーデンに逃れる。スエーデンに逃れた年の暮にハーンから受け取った解析結果を元に偶々訪れていた甥でニールス・ボーアの研究所の物理学研究員だったオットー・フリッシュと共に核分裂によるエネルギー放出を説明した。 


マクミラン、エドウィン (1907 - 1991) 国籍:アメリカ。1951 年に超ウラン人造元素生成の功績によってグレン・シーボーグと共にノーベル化学賞を受賞。

 

湯川秀樹 (旧姓:小川) (1907 - 1988) 国籍:日本。1949 年中間子の理論によって単独でノーベル物理学賞を受賞。


ユーリー、 ハロルド (1893 - 1981) 国籍:アメリカ、1934 年重水素発見の功績によって単独でノーベル化学賞を受賞。マンハッタン計画においては当初はコロンビア大学、後にテネシー州オークリッジにおいてジェームズ・フランクが提案したガス分離法によるウラニウム235の分離の総責任者となった。


ラザフォード、アーネスト (1871 - 1937) 国籍:ニュージーランド→イギリス→カナダ。1908 年に元素崩壊と放射性物質の化学的性質を明らかにした功績によって単独でノーベル化学賞を受賞。イギリスを拠点として多くの優秀な物理学者を育てた。


ラバイ、 イシドール (1898 - 1988) 国籍:オーストリアハンガリー(現在のポーランド)→アメリカ 1944年原子核の磁気的性質の測定によって単独でノーベル物理学賞を受賞。亡命ユダヤ人科学者のアメリカ定着に尽力した。


レントゲン (1845 -1923) 国籍:ドイツ、1901 年 X 線発見の功績によって単独でノーベル物理学賞を受賞。


ローレンス、 アーネスト (1901 - 1958) 国籍:アメリカ、1939 年サイクロトロン開発の功績によって単独でノーベル物理学賞を受賞。マンハッタン計画において四人の構成員からなる科学者の最高諮問機関、科学者小委員会の構成員である。

 

(注) 上の名簿には二人の日本人(仁科芳雄湯川秀樹)が含まれている。これは二人の学問業績の高さの故ではあるが、当然のことながら実際に二人がマンハッタン計画に代表される原子力開発に関わったわけではない。ただ、アメリカ政府が広島と長崎への原爆投下を急いだ理由が日本統治下の朝鮮半島(現在の北朝鮮)でウラニウム鉱山が発見された情報をアメリカ政府が得たからであるというものから日本統治下の領域で原爆実験が実施されたというかなり眉唾ものの情報までが存在し、さらにアメリカなどの協力があったにせよ、戦後日本の原子力発電の発展にはめざましいものがあり、上記二人を中心とする東京と京都の科学者チームの戦前・戦中における知識・技術の水準は相当のものだったと推測されるからである。