【読書ルーム(126) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第5章  マンハッタン計画 (下) 〜シカゴの預言者たち 】  作品の目次

 

【本文】

シカゴ大学では自分たちの研究目的とアラモゴルドでの実験結果を知り、かつフランクやシラードなどの年長の科学者たちが起草したフランク・レポートが無視されたことに憤り、あるいは日本に対する戦勝を急ぐ、様々な考えを持つ科学者たちの間で原子爆弾の使用方法をめぐって議論が沸騰した。金属研究所の若い研究員たちは機会がある毎に集まっては研究業務をよそに意見を戦わせ、たまりかねたコンプトンは百五十名の研究員を対象にアンケート調査を実施させた。コンプトンはまた、これによって戦争の早期の終結のためには日本への原子爆弾投下もやむなしという自分の考えがアメリカの世間一般の考え方から乖離していないことを何とかして確かめたかったのである。アンケートの質問内容は「われわれの研究開発の成果を対日戦争で用いるとすればどのような方法によるのが最もこのましいか?」というものだったが、それに対する結果は以下のようだった。


(1)軍事的に最も効果が上がるように用いられるべきだと答えたのは全体の15%の23人、
(2)威嚇を目的として用いるべき(military use)だと答えたのが46%にあたる69人、

(3)更なる無条件降伏の要求と共に威力を呈示するべき(experimental use)だと答えたのは26%にあたる39人、

(4)軍事的効果は期待せずに公の場で威力を呈示するべきだと答えたのは11%にあたる16人

(5)新兵器開発を極力秘密にし、その使用も行なうべきではないと答えたのは2%にあたる3人。


科学者たちに、議論はほどほどにしてとにかく研究業務に専念してほしいと願ったこともコンプトンがアンケート調査を実施した理由だったので、各選択肢の意味を正確に定義するような機会はアンケートの事前には全く行われなかった。したがって、回答者は選択肢の意味が不明なまま感覚的に意見を選択し、回答者の多く、特に二番の「威嚇目的(military use)」を回答に選んだ回答者たちは原子爆弾が都市に落とされた時の破壊力を実際に知った後に「威嚇目的(military use)」というのは「軍事拠点の破壊を意味していると思った。」と釈明することになる。結果を見たコンプトンは、極秘のうちに行われた科学者小委員会での自分の主張が一般の考え方にほぼ添っているという確信を得た。


シラードは議論を沈静化させる目的で行われたアンケートの結果を見て満足するわけにはいかなかった。シラードは走った。日本への原子爆弾投下を止めるよう嘆願書を作成し、シカゴだけで六十七人の科学者の署名を集めた。シラードは嘆願書の写しを作成し、それをプロジェクトの各拠点で働いている科学者の友人の元に送った。シラードの嘆願書がロス・アラモスに到着し、トップレベルの科学者の間で嘆願書が回覧され始めた時、嘆願書に目を通したエドワード・テラーはすんでのところで署名するところだった。テラーは同郷の友人シラードが中心となってフランク・レポートが作成され、そのレポートをジェームズ・フランクが自ら軍事省長官の元に運んだこともレポートの内容に関しても熟知していた。シラードと同じく共産主義を脅威と感じていたテラーは自分もフランク・レポートに署名したかったと感じるほどにシラードとフランクに共鳴していた。しかし、フランク・レポートの作成と提出が失敗に終わったとわかった後に今度はシラードの嘆願書に接し、テラーは嘆願書に単純に署名することの意味について考えないわけにはいかなかった。


テラーは署名を保留してシラードの嘆願書を保持し、オッペンハイマーに会う機会を得た際にその嘆願書を見せた。嘆願書を読んだオッペンハイマーはこう言った。

「われわれが作ったものをどう使うかはわれわれ科学者が決めることではない。シラードはここまでに至る行政府の努力のことなど全く考えていないんだ。」
オッペンハイマーのこの言葉を胸に刻み込み、テラーはシラードの嘆願書に署名しないことに決めると自分の決定とその理由を手紙で説明してシラードに送った。


「僕らが今作ろうとしているものは本当に恐ろしいものだが、その使用を止めようとどんなに努力し、政治の流れを変えようとしたところでもう手遅れなんだ。僕らがやっていることが間違っているのかどうかということについて、シカゴの君たちに言っておきたいことがある。魔法の壜に閉じ込められた魔物をどうにかして壜から出してやろうと骨を折り、苦心して出してやった後で魔物の服の裾を壜にくくりつけたってもう手遅れだ。そんなことをすることのほうが間違っているlxxx[29] 。」


レズリー・グローブスはシラードの嘆願書が回覧されているのを見て困り果てた。プロジェクトの完遂がグローブスの使命であり、シラードの嘆願書の回覧はその目的に反した。しかし一方では、部外者や敵に情報を供与するわけでもない内部での意見の交換は言論の自由の一環として保障されるべきだった。そこでグローブスは一計を案じ、嘆願書の取り扱いに関する自分の決定をシラードに伝えた。
「ロス・アラモスの科学者の間で意見の不統一があるということがプロジェクトの他の拠点や政府、議会などに知られるのはよくない。従って、嘆願書は極秘扱いで回覧する。つまり、士官が手ずから回覧することにする。」
グローブスはシラードにこのように通告し、結局はシラードの嘆願書は手ずから回覧する暇のある士官がいないまま、ロス・アラモスとオークリッジ工場の二箇所で責任者の事務所に長期間埋もれることになる。一方、シラードの嘆願書に接した上で署名を拒否した科学者たちの間では原子爆弾の日本への即時の投下を要請する「反嘆願書」なるものが回覧され始めた。理路整然としたシラードの嘆願書とは異なり、反嘆願書はアメリカ人の犠牲者数を最小限に留めることと戦争の早期の終結とを感情的に訴えるものだったが、それは正に大多数のアメリカ国民の声でもあった。

(読書ルーム(127)  終わりの始まり に続く)

 

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