【読書ルーム(45) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜錬金術の最果ての地   4/4 】  作品目次

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【本文】

オッペンハイマーが教鞭を取った二つの大学、カリフォルニア工科大学カリフォルニア州立大学バークレー校のうち、気候の上では南に位置するカリフォルニア工科大学のほうがオッペンハイマーの肌に合い、校風の上では単科大学であるカリフォルニア工科大学よりも総合大学であるカリフォルニア州立大学バークレー校のほうがオッペンハイマーの肌に合っていた。オッペンハイマーバークレーに到着するなり、文学部の教授陣にも知己を求め、サンスクリット語の学習に取り組んだ。自分の専門分野においては宇宙理論に取り組んでいたオッペンハイマーにとって、サンスクリット語を学んで宇宙創生のインド神話に原語で触れることは専門と全く矛盾しないどころかお互いに補いあうものだった。社会人としての地位を得た後もオッペンハイマーは思春期や青年時代と変わることなくロマンを追求した。

 

大学街カリフォルニア州バークレー東海岸ニューヨーク、ウォール街の喧騒ともほど遠く、一九二九年十月のウォール街での株価大暴落に端を発する世界大恐慌も学園都市には何らの影響も与えてはいないかのようだった。しかし、ウォール街から地理的に隔絶していても、あるいは学問を専らとする大学町であっても、周囲の産業に波及した大恐慌の影響は社会に目覚めた学生たちの関心を喚起しないわけではなかった。一九三○年の春、ローレンスと共に学内を闊歩していたオッペンハイマーは、農業労働者の賃上げストの是非について学生たちが集まって論争している様を見た。オッペンハイマーはローレンスに事の次第を尋ね、その時ローレンスは初めて、夢見がちな朋友オッペンハイマーが新聞やラジオの報道にもろくに接していないということを知った。ローレンスによる説明を聞き、論陣を張っている学生から手渡されたちらしに目に通し、さらに集会などに出席して大恐慌の存在と労働者階級の困窮に目を開いた時から、それまで政治や産業のことなどに関して全く無知だったオッペンハイマーは一転し、経済の機能の不備のせいで職を失った多くの人々に深く同情するようになった。教室の中では学生に向かうよりも黒板に向かって難解な理論をぼそぼそと唱える、ボヘミアン風の内気な若い教授オッペンハイマーは一歩教室の外に出ると学生たちとわけ隔てなく接し、物理学のみならず文学や音楽に対しても闊達に意見を述べる学生たちの兄のような存在となるのが常だったが、政治などに関してさらに理解を深めたいと願ったオッペンハイマーはやがて、学生や知己の紹介を通じて全米と全世界を蔽う経済の苦境を救済しようとする様々な人々にも接するようになった。オッペンハイマーが知り合ったそういった人々の中には共産主義者が含まれ、本好きな人間と知己を深めると愛読書で

あるインドの叙事詩バガバード・ジータの英訳本を贈るのが常だったオッペンハイマーは贈り物の返礼として政治に関する書籍を受け取るようになった。

 

一九三七年のある日、すでにまとまった用地と建物を取得して「放射線研究所」という名称を与えられたサイクロトロンの施設にいつもどおり出勤したローレンスは、入り口に足を踏み入れた途端、研究員への公の連絡事項などを書き込むために入り口近くの壁に据え付けられている黒板にオッペンハイマーの手で何かが大書されているのを見た。

「スペイン共和軍を支持するための集会にこぞって参加してください。場所と日時は・・・。」

オッペンハイマーの手による政治的な呼びかけが自分の研究所の公の場所に掲げられているのを見てローレンスは心中穏やかではなかった。

「株式大暴落のことを発生後半年間も知らなかった世間知らずのオッペンハイマーに、少しは世の中のことに目を向けるように、新聞くらいは読むように、と言っただけだったのに・・・。」

ローレンスは苦々しく思いながら黒板に書かれたオッペンハイマーの呼びかけの文書を消したxxi[5]。

(読書ルーム(46) 一時代の終わり に続く)

 

【参考】

バガバード・ギータ (ウィキペディア)

 

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