【読書ルーム(96) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜軍の関与と計画の拡大 4/5 】

 

【本文】

グローブスが思い描いているような工場が稼動を開始した後、全てを統括できる者はやはり科学者でなければならないとグローブスは思いプロジェクトに携わっているノーベル受賞者たちの業績や人と成り、プロジェクトにおける役割などを比較してみた。まず、シカゴ大学で基礎研究を統括しているコンプトンを工場に移すことは考えられなかった。ウラニウム235の分離にそれぞれの方法で専念しているカリフォルニア州立大学のアーネスト・ローレンスとコロンビア大学のハロルド・ユーリーも最終段階の工程を含めたプロジェクト運営の全体を任せるためにはそれぞれの研究対象にとってあまりにも不可欠な存在だった。核分裂の連鎖反応が成功するか否はプロジェクトの核となる研究課題だったが、それに従事しているフェルミウラニウム235の分離には関心がなく、加えてもしフェルミが敵性外国人ではなかったとしても、いまだアメリカ国籍を取得していなかったので多くの科学者がフェルミに従うとは考えられなかった。原子力開発の進捗状況を視察する旅に出る前グローブスは全米各地の大学や研究機関に勤める科学者の経歴書を並べ、幾人かをプロジェクトの最高責任者として念頭に置いたが、研究に携わっている科学者たちに実際に接した後、グローブスはますます途方に暮れた。その結果、グローブスはいくつかの点において自分の考え方を改めた。
「まず、この一大国家プロジェクトを統括する科学者はノーベル賞受賞者である必要はない。そして、原子力開発に関わる目覚しい実績さえもあるいは必要はないかもしれない。原子力関連の研究実績がなくとも研究成果を理解するだけの頭脳があればいいのだ。」とグローブスは考えた。

 

ローレンスによるウラニウム235の電磁分離法の説明を受けるまでにグローブスの考えはすでにまとまっていた。グローブスが選んだのはカリフォルニア州バークレー校の教授で理論物理学者のロバート・オッペンハイマーだった。
オッペンハイマー宇宙線理論のコンプトンや中性子照射のフェルミのように一つの研究対象に継続的に関わったことがなく、同じく物理学者である弟のフランク・オッペンハイマーに言わせればロバート・オッペンハイマーの研究対象は「水銀のようにころころ変わる」とのことだったが、それが正にロバート・オッペンハイマーの強みだった。新しい学説や理論に接した際のロバート・オッペンハイマーの理解の速さと正確さは物理学者の間で定評があった。オッペンハイマーはドイツのオットー・ハーンが核分裂を確認した頃にはアインシュタインの宇宙理論の精緻化に没頭していて原子力開発には自分からは直接手を染めてはいなかったが、原子力開発に深く関わっているローレンスの親友でコンプトンとも十年以上親交があった。また、二十代半ばでドイツに留学したオッペンハイマーの経歴も、多くの移民科学者たちを掌握するのに役立つと思われた。オッペンハイマーはシカゴに出向いた際に将来的なオッペンハイマーのプロジェクトへの関わりを期待していたコンプトンから原子力開発の進捗状況や問題点に関して詳しい説明を受けたこともあった。オッペンハイマーは、あれほど共産主義を嫌悪したヒトラーの政権が共産主義国ソビエト独ソ不可侵条約を結んだことに驚き、スターリン治世下のソビエトでの人権抑圧を嘆いて共産主義に失望し、その頃までには「政治のことは政治家に任せよう。僕等が民主的な方法によって選び、共産主義者ユダヤ人の人権を抑圧しているヒトラーの政権に反対しているルーズベルト政権に忠実でいれば、道が開けるだろう。」と言うローレンスの忠告を素直に受け入れていた。

 

グローブスのこの人選はしかし、多くの物理学者たちの失笑をかった。オッペンハイマーの親友でコロンビア大学教授のイシドール・ラバイなどはグローブスによるオッペンハイマーのプロジェクト最高責任者への選出をおおっぴらに嘲笑した。
オッペンハイマーは理論家だ。実務のこととなったら、きっとホットドッグの屋台を経営する能力もないだろう。xlviii[7]」とラバイは語った。


しかし、グローブスによるオッペンハイマーのプロジェクト最高責任者への任命を嘲った物理学者らは三年後には考えを改め、オッペンハイマーの適応能力とグローブスの人を見る目の確かさに敬服することになる。

(読書ルーム(97) に続く)

 

【参考】

ロバート・オッペンハイマー (ウィキペディア)

ページ中ほどの写真の右側の人物。左にいるのは説明するまでもなくアインシュタイン

 

イシドール・ラバイ または イジドール・イザーク・ラービ (ウィキペディア)