【読書ルーム(139) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 6/7 】      作品の目次

このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属します。


マンハッタン計画で具体的な役割を与えられなかったニールス・ボーアが功労者の一員に加えることが不適切ならば日本の湯川秀樹仁科芳雄を功労者に加えることはボーアの場合よりも遥かに不適切である。しかし少なくともこの2人とアーンスト・ローレンスの教え子だった日本人物理学者のサガネは戦前に功労者たちと友情を通わせ、また戦後には友情を取り戻すことができた。言わばマンハッタン計画の功労者達の眷属なのです。

 

【本文】

戦後、コロンビア大学は日本人の理論物理学者、湯川秀樹客員教授として招いた。湯川の中間子の理論は戦前すでに多くの理論物理学者の注目を集めていたが、戦争が終わって平和が訪れるのと同時にコロンビア大学ナチスの台頭がはなはだしかった時と同様に外国の優れた科学者を招待し、コロンビア大学が二十世紀後半において、かつて同世紀の前半にドイツのゲッチンゲン大学が世界の科学界で築いたのと同じ地位を獲得しようとする意図があったのであろう。ただ、応用科学の総本山となったカリフォルニア州立大学バークレー校、アインシュタインを擁するプリンストン大学、今やコンプトンとフェルミの両方を擁するシカゴ大学などを凌駕してコロンビア大学一校だけが他を抜きん出ることだけは不可能だった。それでも、コロンビア大学の首脳は、ニューヨーク、マンハッタン島の片隅でハーレムを東に望む高台にある学園に世界各国から優秀な科学者を集めたことがアメリ原子力
発の暗号名「マンハッタン計画」の由来となったことを誇りに思い、戦前のゲッチンゲン大学の再現は実現できなくとも、世界各国からの学者を集めることが世界平和に繋がると確信していたはずである。コロンビア大学で研究と教職に従事している間に湯川秀樹は日本人としては初めてのノーベル賞受賞を知らされた。


ロス・アラモスでの最高責任者の職を辞してひとまずカリフォルニア州立大学バークレー校に戻ったオッペンハイマーは今後の身の振り方を真剣に考えた。二十六歳の時に、巻き毛の長髪頭、やせぎすで文学や音楽を好む変人の教授として学生の人気を集めたオッペンハイマーは、髪を短く刈り込み、昔以上に痩せていたが、学生間の人気者から国民的英雄にのし上がっていた。オッペンハイマーは生まれ育った東海岸に帰り、政府に対して責任ある立場を得たいと思っていたのであるが、教授の職を薦めているハーバード大学コロンビア大学プリンストン大学のうちから次の居場所を選ぶのに一年間の時間を要した。


一九四七年、オッペンハイマーは意を決し、母校のハーバード大学でも、生家のあるマンハッタン、リバーサイドから目と鼻の先で第二のゲッチンゲン大学を目指すコロンビア大学でもない、アインシュタインがいるプリンストン大学の教授の職を選び、住み慣れたカリフォルニア州バークレーを去った。一年少々のカリフォルニアでの骨休みを経て、オッペンハイマーの頭の中では首都の政治家たちに対して科学者として訴えたいことや指導したいことがまとまりつつあった。


一九四七年は二度にわたる世界大戦を経た後のアメリカの政治における一つのある課題を完遂し、新し
い別の課題に取り組むことを余儀なくされた年だった。この年、トルーマン大統領はいわゆるトルーマン・ドクトリンを発表し、今まで懐疑の眼で見守っていたソビエトなどの社会主義諸国の政治姿勢をアメリカなどの資本主義国が取る自由や民主主義の考え方に真っ向から対立するものであると規定したのである。この年から、共産党員を名乗る者は公職から追放され、レッド・パージと呼ばれたその動きは二年以内に日本や西ドイツなど、西側連合国の占領下にあった国々にも広まった。アメリカ国内ではロサンゼルス郊外のハリウッドで映画製作に従事していた映画監督や脚本家が次々と喚問を受け、そのうち何人かはアメリカでの映画生命を断たれてヨーロッパに移住して映画
を製作することを余儀なくされた。学問の世界においても、共産主義者の研究者が連邦政府の補助を受ける研究所などを罷免になった。オッペンハイマーの弟のフランク・オッペンハイマーは、戦争中は所長のアーネスト・ローレンスが不在がちだったカリフォルニア州立大学付属放射線研究所で熱心に働いたが、戦前から妻と共に共産党に入党していたために解雇されてしまった。


この年にはまた、原子爆弾の開発を目的としたマンハッタン計画が名実共に終了し、政府内部において
原子力を平和利用する方法を協議する原子力委員会が民間人を主な委員として設立され、オッペンハイマーを始めとする科学者は原子力委員会の諮問委員として位置つけられた。
*      *

(読書ルーム(140) https://kawamari7.hatenadiary.com/entry/2021/08/30/180913 に続く)

 

【参考】

トルーマン・ドクトリン (ウィキペディア)

 

湯川秀樹 (ウィキペディア)