【読書ルーム(124) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第5章  マンハッタン計画 (下) 〜 核実験 1945年7月16日 1/2 】 作品の目次

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【あらすじ】

順延された世界初の核実験に臨んだのはアメリカでの原子力開発の立役者だけではなかった。叔母のリーゼ・マイトナーとともにオットー・ハーンの化学分析に基づいて核エネルギーの存在を明らかにした後にイギリスに居を定めたオットー・フリッシュ、初期の原子力開発に多大な関心を寄せながら政府機関などが敷いた緘口令によって煙に巻かれたニューヨーク・タイムズ紙のウィリアム・ローレンス記者らの他、怖いもの見たさからか、機関銃を構えた兵士や精神科医までが安全性の限界地点である制御棟に終結した。また、アインシュタインを動かして大統領に手紙を送ったユダヤ人亡命科学者の中からはシカゴ大学に居残るシラード以外のほぼ全員、テラー、ベーテ、ラバイなどが臨場した。


【本文】

原子爆弾の熱と風圧によって空気中の窒素が核融合を起こすかもしれないんだってさ・・・。」とグローブスを囲んでポーカーに興じていた軍人の一人が冗談めかして言い、グローブスが「空気が爆弾になるかどうか賭けよう。」と言ったのを聞きとがめたフェルミは軍人たちに対して激しい怒りを露にした。マンハッタン計画が開始されて原子力関連の研究を行っていた科学者がシカゴに召集される以前、アメリ東海岸ではフェルミ、ラバイ、ベーテらが、西海岸ではローレンス、オッペンハイマーに加えてシカゴから頻繁に出張していたコンプトンらが過熱されてプラズマ状態になった水素や窒素が核融合を起こす可能性について語り、核分裂反応によって核融反応を引き起こすことができると考えたが、その後の理論計算によって通常の核分裂では海水中の水素や空気中の窒素の核融合が引き起こされることはないという結論を得ていた。


グローブスが提案した「空気が爆弾になるかどうかの賭け」は単なる子供じみた冗談で、決して理論物理学者が目くじらを立てるようなことではなかった。しかし、それまで理論を手がかりとして常に未知の領域に挑み続け、今また正に理論の成果として新たな領域が切り開かれるのを目前にしていたフェルミにはグローブスらの冗談が冗談に聞こえなかったのである。フェルミはやはり極度に興奮していた。翌七月十六日の未明、午前四時に嵐が止み、爆発の放射性残留物を無人地帯に拡散する方向に風向きが変わり、ベース・キャンプは慌ただしさに包まれた。


爆破準備の点検には四十五分の時間を要した。確認のために爆破地点に兵士らと共に赴いた二人の技術者は敷設した装置類に異常がないことを確認すると全速力で車を走らせて爆破地点から一万ヤード地点の制御室に戻った。舗装道路も灯火もない荒地では時速六十キロがせいぜいだったが、確認に出向いた一行が戻るまで制御室内部では何事もなされないことがわかっていてでさえ、制御室内部の人々がこれから起こそうとしていることの甚大さを知る一行全員は恐怖にかられ、冷え切った未明の砂漠を命からがら走り抜けて制御棟に戻った。ベース・キャンプではオッペンハイマーとグローブスの二人が他の関係者たちの制止を聞かず、一万ヤードの制御棟で実験を観察すると言い張った。フェルミとセグレはベース・キャンプに残ったが、オッペンハイマーとグローブスが制御棟に到着すると内部は怖いもの見たさか苦心の末の成果を見たいかで最先端の一万ヤード地点を訪れた、マンハッタン計画に参加した科学者たちで溢れていた。中には物理学者でも放射線化学者でもない、二人の精神科医までもが見物に連なり、そればかりではなく安全の確保を名目に使用可能性が皆無の機関銃を携えた若い兵士も大勢到着していた。


午前五時十分になり、拡声器から秒読み開始を告げる声が響いた。秒読みを行ったのはシカゴ大学でコンプトンの片腕として原子力開発の基礎研究を統括したサム・アリソンだった。秒読みは、ラジオ局ヴォイス・オブ・アメリカと同じ周波数の電波を使用して送られたので、アリソンの秒読みの声はヴォイス・オブ・アメリカの早朝番組のクラシック音楽チャイコフスキーの弦楽セレナーデに奇妙に重なって爆破地点の周囲に設けられた全ての拠点に響き渡った。

 

一九四五年七月十六日、アメリカ山岳標準時の午前五時三十分、一万ヤード地点で制御棟の外にいるものは爆発の瞬間、地面に伏せるように言われていたが、そのようにした者は一人もいなかった。六年前の一九三九年の夏レオ・シラードと共にアインシュタインの元に原子力開発への協力を要請する大統領宛ての手紙を運んだエドワード・テラーはその時から今に至るまでの長かった道程の最終成果を自分の眼で確かめようと、溶接工が使うゴーグルを用意し、露出した肌に日焼け止めを塗って直立した姿勢で爆発の光景に臨んだ。


ニューヨーク・タイムズの科学記者で一九三九年の始めから原子力開発に関する正しい情報を世間に広め、世論を盛り上げようと努力してきたウィリアム・ローレンスは、爆破に先立ち、真っ暗な中で著名な科学者たちが日焼け止めの壜を回して肌に塗る異様な光景を目の当たりにした。


爆破地点から二十マイル(約三十キロ)北西のコンパーニャ・ヒルでは主としてイギリス人を始めとする連合国の外国人招待者が実験の成り行きを見守っていたが、まだ夜も明けない午前五時過ぎ、真昼のような光があたりを覆った時、あるイギリス人は別の招待者に「あれは何だ?」と尋ね、尋ねられた招待者は「爆発だ。」と答えた。しかし、同じ地点にいたオットー・フリッシュの感じ方はさすがに鋭かった。


「音も無く、太陽が突然輝いたようだった。砂漠のかなたの地平線が非常に明るい光で輝いた。その光には色も形もなかった。数秒間、その光は輝きつづけ、やがて消え入ろうとした。しかし、小さな太陽のようなその光があまりにも明るかったので私は見つめ続けられなかったのだ。私は目をしばたいてその光を見つづけようとした。それから十秒ほどして光はいちごのような形をした火のついた石油のように変化し、ついで砂塵の裾をゆっくりと広げながら空に立ち上るようだった。あまり似つかわしくない例えかもしれないが、私は真っ赤な象がゆっくりと立ち上がるようだと思った。それから、立ち上る熱気が冷めて色を失ったせいか、周辺に青いものが見えるようになった。それはイオン化された空気が発する光で正に畏怖を感じさせる光景だった。原子爆発を一度見たら二度と忘れることはできないだろう。全ては静寂の中で進行した。私が轟音を聞いたのは一分後だった。(音が遅れて来ることを知っていたので)私はすでに両耳を手で固く覆っていた。しかし、巨大なトラックが立てる音のようなその響きは今でも私の耳に残っている。」


一九三八年のクリスマスにフリッシュが叔母のマイトナーと共に休みを返上してその存在を解き明かした、物質の原子核に潜む莫大なエネルギーが解放された瞬間だった。

(読書ルーム(125) に続く)

 

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