【読書ルーム(123) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第5章  マンハッタン計画 (下) 〜 核実験 1945年7月15 日 】  作品の目次

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【あらすじ】

マンハッタン計画に携わったアメリカ人科学者、亡命科学者、イギリスやアメリカのシカゴ大学で基礎研究に携わった科学者全てに記念すべき日となる砂漠での核実験の日が到来した。シミュレーションの結果によって実験場所のアラモゴルドの近隣の住民には退去が命じられていたが、当日の悪天候による不測の事態の発生を避けるために翌日の天候がシミュレーション時に近似することを期待して実験は延期となった。


【本文】

七月十五日、ニュー・メキシコ州南部アラモゴルドで世界初の核実験が実施されるその日が到来した。オッペンハイマーは実験場所に、自ら命を絶った恋人のジーン・タトロックと共に耽読した十七世紀頭のイギリスの詩人ジョン・ダンの「神聖十四行詩」の一節から採用した「トリニティー(三位一体)」という暗号名を与えていた。フェルミらがシカゴ大学でスカッシュ・コートの隣にしつらえた制御室で中性子の照射とカドミウム棒による制御を行った時とは異なり、アラモゴルドの郊外、ホルナダ・デル・ムエルト(死の旅)というスペイン語の地名を持つ砂漠地帯での実験準備の設定は、五月にTNT百トンを使用して模擬実験を行った後でも困難を極めた。今回試されることになったプルトニウム爆弾の爆発実験にはもちろんカドミウム棒による制御は必要なかったが、中性子照射を爆破の危険性が全く及ばない地点で遠隔操作しなければならなかった。制御室は爆破地点から南に一万ヤード(約九キロ)離れた地点に設けられ、爆破地点に向けて幾本もの送電線が巡らされた。複雑な装置を内蔵する、ボールのような丸い形をしたプルトニウム爆弾は実験予定日の二日前に到着し、地上三十メーターの塔の上に据えられた。


爆破実験には最高責任者のオッペンハイマーとグローブスはもちろんのこと、ロス・アラモスで原子爆弾の開発に当初から携わった科学者に加えてフェルミ、ローレンス、ラバイ、テラーなど、原子力開発に功績のあった科学者が多数立会い、爆破地点の周囲の一万ヤード地点やそれより離れたベース・キャンプで待機した。主だった科学者のうちで出席しなかったのはコンプトンだけだった。実験が成功した場合、シカゴ大学の金属研究所は原子爆弾製造の最終段階に不可欠なある種の実験の結果を直ちに提出しなければならなかったので、コンプトンはシカゴを離れるわけにはいかなかったのである。一九三八年の暮れに叔母のマイトナーと共に核分裂を理論的に説明し、その後イギリスに渡ってパイアールズと共に核分裂の連鎖反応の臨界量を正確に予測したオットー・フリッシュは爆破地点から二十マイル(約三十キロ)北西にあるコンパーニャ・ヒルという小高い丘に招待された。


技術者たちが爆破地点の周囲四十五箇所にカメラを取り付けて真夜中の実験開始を待ったが、夕方になり雨が降り始め、またたく間にそれは雷を伴った砂漠特有の激しい嵐になった。九キロ離れた地点で露出した肌に日焼け止めを塗り、ゴーグルを用意した実験の立会人らは嵐が止むのを待った。オッペンハイマーは苛立って葉巻を吸い続けた。身長百八十センチのオッペンハイマーの体重はこの時には五十キロを下回っていた。実験開始時刻が近づいても嵐は止むことがなかった。軍隊の気象予報官によって予知されながらも、実験結果を知ることしか念頭になかったグローブスやオッペンハイマーらが考慮することのなかった自然の猛威の前で、科学者たちはひたすら嵐が止むのを待った。嵐がもたらす雨は実験装置や観測装置の電気回路をショートさせるかもしれず、風は二ヶ月前の模擬爆発によって放射性物質の飛来の可能性があると判断された範囲を越えて住民に被害をもたらすかもしれなかった。アラモゴルドの北東約三百マイル(四百五十キロ)に位置し、風下にあたるテキサス州の中規模都市アマリョの住民には避難の勧告どころか危険な実験が実施されることさえも知らされていなかった。万が一の場合を考え、オッペンハイマーとグローブスはやむを終えず、嵐が止むまで実験を延期することに決めた。この時、ローマ大学フェルミの助手を勤め、ムッソリーニによるユダヤ人迫害を逃れてカリフォルニア州立大学に移った後、プロジェクトに参加していたエミリオ・セグレはベース・キャンプの周りにできた水溜りで無数の蛙が交尾している幻想的な光景を見た。多くの住民が放射能の塵を避けるために一時的に退去を命じられていたが、人語の及ばない無数の蛙の無言の生命の主張はセグレに強い印象を与え、後に自著の「エンリコ・フェルミ伝」に特記されることになる。セグレは実験が一日延期されるものだと思い、フェルミも同じ考えだろうと思いながら仮眠を取ることにした。


しかし、オッペンハイマーフェルミ、グローブスらは寝ずの晩を過ごした。夜を徹して天候の回復を待った科学者と軍人の幹部らはコーヒーを立て続けに飲み、オッペンハイマーは間断なく葉巻をふかし、軍人らはトランプのゲームに夢中になったが、その中でフェルミだけが何もせずに一見平然として窓の外の天候だけを気にかけているようだった。しかし、フェルミは興奮を表情に表さないだけでいつになく興奮していたのである。

(読書ルーム(124)  核実験 に続く)

 

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