【読書ルーム(115) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜連合軍のお尋ね者 4/4 】  作品の目次

この記事の内容全ての著作権はかわまりに帰属します。

 

【あらすじ】

アルソス・ミッションの諜報部員で科学者チームのトップのサミュエル・ゴードスミットはドイツ原子力開発計画の全容の把握に務める傍ら、生き別れになった両親の消息を尋ねて故郷の港町、オランダのハーグを訪れた。そこで目の当たりにしたことからゴードスミットはナチスドイツに対する憎悪を新たにしたが、それは先輩科学者のハーンや朋友ハイゼンベルクという2人のドイツ人に対する敬愛や友情をも否定せざるを得なくなるほど強烈な感情だった。

 

【本文】

オランダがナチス・ドイツから解放された後、ゴードスミットは仕事の合間を縫って故郷の港町ハーグを訪れ、少年時代を過ごした家の前にたたずんだlx[9]。ゴードスミットは両親をナチス・ドイツの手に落ちたオランダから救い出そうとありとあらゆる手段を講じ、自分のアメリカ国籍を利用して両親にアメリカへの渡航ビザを取得させ、一九四三年の始めに両親は旅立つばかりになっていた。しかし、ゴードスミットが両親救出のための手を打ったのはナチスの魔の手がハーグのユダヤ系オランダ人に伸びるのよりも一瞬遅かったのである。そしてゴードスミットとは別にハイゼンベルクもまた、ゲッチンゲン時代からの朋友ゴードスミットの両親を助けようと尽力した。ハイゼンベルクは一九三八年の夏にオットー・ハーンの要請に応じてリーゼ・マイトナーの逃亡を助けたオランダ人科学者のコスナー宛てに、ゴードスミットの両親を保護するよう要請する手紙を送った。しかしハイゼンベルクのこの試みも手遅れだった。ゴードスミットの両親はチェコスロバキア強制収容所に連れ去られ、ガス室で殺された。

 

最愛の息子に別れを告げる目的でチェコスロバキアでしたためられ、なぜかポルトガルで投函された両親からの手紙を一年半前に受け取って以来、ゴードスミットの両親の消息は不明だった。ナチス・ドイツユダヤ人迫害は占領した国々の中でもオランダにおいて最も苛酷で、オランダのユダヤ人は国外に逃亡するか何とか身を潜めることができた者以外はほとんど全員が強制収容所に連れ去られて殺害された。終戦の時には生き延びたユダヤ系オランダ人は全体の一割に満たなかった。ゴードスミットもまた、両親が手紙を書いた場所であるというチェコスロバキアユダヤ強制収容所の生存者の名簿の中に両親の名前を見つけることはできなかった。

 

アメリカ国籍を取得し、ドイツ原子力開発計画の全容を探るという連合軍内部での重責を任された原子物理学者のゴードスミットは、もはや両親の姿がなく荒れ果てたハーグの旧家の前で一人たたずみ、万感の想いに耐え切れずに涙を流した。ゴードスミットの脳裡に去来しなかったこと、あるいはその時のゴードスミットには知る由もなかったことはただ一つ、先輩格の科学者として親交を結んだハイゼンベルク、戦争前夜の一九三九年の夏にミシガン州のアン・アーバーでエンリコ・フェルミを交えてビールを酌み交わしたあのハイゼンベルクが、ナチスの暴虐の下で、無力ながらも自分の両親を救おうと精一杯の努力をしてくれていたという事実だった。

 

四月の始め、アルソスの行動部隊に拘束されたオットー・ハーンを尋問した時、ハーンはゴードスミットに向かって頭を下げ、「ご両親のことは本当に気の毒に思います。」と言った。しかし、ゴードスミットの両親に関してハーンが知っていたのは二人が強制収容所に連れ去られたということだけだった。強制収容所に連行されるということはすなわち死を意味するとハーンは思ったのでゴードスミットに対してこのように言ったのであるが、ゴードスミットはそれでも両親の死を信じたくなかった。


ミュンヘンが連合軍の手に落ち、ベルリン陥落とドイツの降伏がもはや時間の問題となった五月の始めに、ゴードスミットはアルソスに捕らえられた旧友のハイゼンベルクと再会した。占領軍の諜報活動の責任者と被占領国の捕虜という立場の相違はあったが、ゴードスミットはハイゼンベルクに対してにこやかに握手を求める手を差し出し、昔と変わらない親しさで「これで終にアメリカに来る気になったでしょう。」と話しかけた。しかし、ゴードスミットの手を握り返したハイゼンベルクの口から洩れた言葉も一九三九年と全く変わらなかった。
「いや、ドイツが私を必要としている。」

 

そればかりではなかった。ハイゼンベルクは今やアメリカとドイツ両国の原子力開発計画の詳細を知るゴードスミットに向かってそれとは知らず、得意満面といった様子で「ドイツの原子力開発の輝かしい成果についてはその時が来たら詳しく話すよ。」と語った。その時のゴードスミットは作り笑いを浮かべながらハイゼンベルクの言葉を聞き流し、心中では稀代の理論物理学者である友人ハイゼンベルクの奢りを悲しく感じたlxi[10]。しかし、ハーグの旧家の前にたたずみ、ナチス・ドイツの暴虐がもたらした惨禍に改めて接したゴードスミットにとって「核分裂が兵器製造に応用されたら自殺する。」と蚊の鳴くような声でしかナチスに対する抵抗姿勢を示さなかったオットー・ハーン、そして学究に耽ってナチスの暴虐に対してあえて目と耳を塞いだハイゼンベルクの二人は今や狂気のヒトラーと全く同列のドイツ人だった。ゴードスミットにとってナチスの暴虐は許しがたく、そのナチスの下で国立研究所の所長を務めたハイゼンベルクやハーンももはや許しがたい存在だったlxii[11]。


    *       *            


五月七日、ドイツは無条件降伏した。ハイゼンベルクの拘束によって、ナチス・ドイツへの対抗を目的としていたマンハッタン計画は当初の意味を失ったが、シカゴ大学とニュー・メキシコ州ロス・アラモスの研究所、テネシー州オークリッジとワシントン州ハンフォードの工場に集められた科学者や労働者たちに解散命令は出ず、プロジェクトは何事もなかったかのように進行した。しかし、この中でイギリスからロス・アラモスに送られていた、ドイツ生まれの亡命ユダヤ人科学者ジョゼフ・ロスブラットは「仕事は終わった。」とばかりに上層部の許可なしに勝手にイギリスに帰ってしまった。ロスブラットのこの行為は五十年後に評価され、一九九五年、八十七歳のロスブラットはノーベル平和賞を受賞することになるlxiii[12]。そして、ナチス・ドイツが降伏した一九四五年の五月七日、アメリカ、ニュー・メキシコ州南部の砂漠地帯で轟音が鳴り響いた。


轟音の正体はマンハッタン計画による核爆発のシミュレーションだった。シミュレーションに使用されたのは百トンのトリニトロトルエン(通称TNT)火薬で、プロジェクトの首脳部が核爆発の規模として予測しているTNT火薬数千トン分のほんの数十分の一の規模だったが、核爆発の衝撃を正しく予測するためにはこの規模のシミュレーションの結果からでも各種の力学計算によってかなり正確な数値が得られると科学者たちは確信していた。シミュレーションの最大の目的は、ウラニウムプルトニウムなどの放射性物質の塵がどの程度飛散するのか、放射性物質の塵が実験地からどの程度の距離までに康に害を及ぼす程度に飛散するのかを知ることだった。百トンものTNT火薬を、要所に計測器などを備えて実際に爆発させるなどということが実際に行われたためしはかつてなかった。実験の結果、核爆発の実験地である無人地帯の周辺から相当離れた地域にすむ住民にも一時的な退去を要請することになった。

(読書ルーム(116) マンハッタン計画(下) に続く)

 

【参考】

エンリコ・フェルミ (ウィキペディア)

オットー・ハーン (ウィキペディア)

リーゼ・マイトナー (ウィキペディア)

ジョゼフ・ロートブラット (ウィキペディア)

 

トリニトロトルエン (ウィキペディア)

 

ハーグ、オランダの港湾都市 (ウィキペディア)

 

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