【読書ルーム(157) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 功労者たちのその後 9/9 (ボーアとハイゼンベルク)】   作品の目次   このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属します。

 

【本文】

戦争の傷跡は歳月を経るにつれて風化し、第二次世界戦争中にはドイツ人や日本人全般を憎悪していた旧連合国の国民も、平和が訪れた後にはナチス軍国主義の狂気だけを抽象的に非難するようになっていった。しかしながら、ドイツの学問の全盛時代だった一九二十年代にハイゼンベルクがゲッチンゲンやコペンハーベンで世界各国から集った、言葉や文化的背景の異なる学生や学者との間に理論物理学を絆として培った友情は戻ってはこなかった。


ゴードスミット(オランダ語 = ハウシュミット)は終生ハイゼンベルクを許さなかった。ハイゼンベルクに対する怒りは両親や友人をナチスの魔の手によって失いながら自分だけが生き延びたことに対する自身の罪の意識と重なり、ゴードスミットは「仕事にかまけて移民局に行くのを一週間遅らせたばかりに・・・。」等々と語って自分自身を責めつづけ、その一方で戦争直前にアメリカの大学から教授のポストに招聘されながらそれを断ったハイゼンベルクを憎んだ。ハイゼンベルクが戦争中に自分の両親を助けようとして尽力したという話を聞いた後でさえ、「ハイゼンベルクは何か別の方法で何とかしてくれてもよかったはずだ。」とゴードスミットは思い続けたcvi[22]。


一九二十年代にニールス・ボーアハイゼンベルクとの間に培われた暖かい関係もやはり完全な形で元に戻ることはなかった。


一九四六年の夏、ハイゼンベルクはすでに西側連合国から協力者としての信頼を得、1941年の秋のボーアとの会話が戸外ではなく、自宅の書斎で行われたと主張した。なるほど、ドイツ占領下のコペンハーゲンで科学界の重鎮として信頼されていたボーアがドイツ人科学者として多くのデンマーク人に顔を知られていたハイゼンベルクと共に研究所の裏にある公園を散策するというのは不自然である。また、公園はボーアの自宅からかなり離れた場所にあり、電力節減のために夜間にも街灯が点灯されなかったコペンハーゲンの街中を通って二人がわざわざ公園に出向いたというのも納得がいかない。また、ボーアは自宅に盗聴器が据えつけられていたということに関してもそのような事実は全くなかったと断言した。


その後の二人の手元では、学会において耳新しい発見があった際や毎年の誕生日などに親愛の情に満ちた文言を含む手紙や挨拶状の草稿が書かれたりタイプで清書されたりしたが、それらのうち多くは投函されずに他の書類の中に埋もれ、お互いの元に届いた手紙や挨拶状は残っておらず、一九六二年にボーアが七十七歳で亡くなるまでにボーアとハイゼンベルクが以前のような親密さを終に取り戻せなかったことを物語っている。一九四九年に戦後初めてアメリカを訪れたハイゼンベルクアメリカの科学者たちは冷ややかに迎え、ある者はハイゼンベルクと握手をすることさえ拒んだcviii[24]。モーツアルトやベートーベンの音楽、そして山歩きと夜空の星の下でのキャンプ・ファイアーをこよなく愛した、科学界のモーツアルトにも比せられるべき明朗な早熟の天才はその後、陰鬱で気難しい初老の、そして年老いた学者へと変貌していった。戦争とナチスハイゼンベルクの性格を変えた。


ハイゼンベルクの門下からは日本人で二番目のノーベル賞受賞者となった朝長振一郎など、ハイゼンベルクの苦悩と寂寥を理解することはあっても決して経験することのない多くのすぐれた物理学者が巣立ち、ただハイゼンベルクが打ち立てた不確定性理論という学問業績だけが科学史上の金字塔として燦然と光彩を放ち、今なお理論のみならず電子工学を始めとする各種の応用分野にまで指針を与え続けている。

(読書ルーム(158) 「結論」に続く)

 

【参考】

ウェルナー・ハイゼンベルク (ウィキペディア)

ニールス・ボーア (ウィキペディア)

 

朝永振一郎 (ウィキペディア)

リチャード・ファインマン (ウィキペディア)

 

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