【読書ルーム(51) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜水先案内人(パイロット)が新大陸に達する 1/3 】


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【本文】

マイトナーが難を逃れた直後の一九三八年夏、オランダ出身の朋友サミュエル・ハウシュミット(英語=ゴードスミット)に誘われて一九三○年に初めて教鞭を取ったアメリカのミシガン州立大学アン・アーバー校の夏期講座にその年も妻子と共に出向いていたフェルミはイタリアのムッソリーニ政権がユダヤ人に対する弾圧姿勢を強めたという知らせに接した。フェルミの妻はユダヤ人だった。そして、フェルミが物理学の研究を強く勧めて工学部大学院から針路変更させて手塩にかけて育て、シチリア島パレルモ大学で教職を得た後もフェルミの研究に協力していたエミリオ・セグレもユダヤ人だった。その時おりしも、アメリカ、カリフォルニア州立大学バークレー校にサイクロトロンの視察に赴いていたセグレにフェルミが連絡を取るとセグレの決心は固かった。セグレは気のみ気のままでカリフォルニア州立大学バークレー校のローレンスを頼ってアメリカに留まることを決めていた。カリフォルニア州立大学でさしあたって得られる職は教授からは程遠い助手の職でしかなかったが、それでもセグレはもはや、ユダヤ人であるというだけで自分をパレルモ大学から追放するような危険極まる政府が支配するイタリアには未練がなく、帰国するよりは身の安全と研究の両方の観点からアメリカに留まったほうがいいと判断していた。

 

帰国後、フェルミはセグレの決意、イタリアの状況、アメリカの風土・文化、そして自分の研究のことなどを、ローマ育ちでローマから離れがたく感じている妻に語り、ニューヨークの港からイタリアに帰国するために船出し、水平線のかなたに去っていくニューヨークの摩天楼を仰いだ時に固めた決意に妻を同意させた。フェルミがその才能を完全に開花させることができるのはイタリアではなくアメリカだった。そしてユダヤ人である妻と二人の子供の将来が展開するのもファシズムに席巻されたイタリアではなくアメリカをおいて他にはないのである。フェルミ自身はユダヤ人ではなく、イタリアにいる限りローマ大学の教授の席に生涯留まることができたが、今後イタリアに留まった場合、ユダヤ人の妻や子供たちがどんな不愉快な目に合わされるか想像できなかった。フェルミ夫妻はまた、一九三二年前後にナチス政府がアインシュタイン相対性理論からハインリッヒ・ハイネの詩集に至るまでのユダヤ人の手になる出版物をことごとく焼却せよと命令したことを思い出したであろう。フェルミは文化の統制と抑圧はかならずや国家の衰亡に繋がり、もしイタリアがナチス・ドイツの轍を踏むならば、ルネッサンス期のガリレオトリチェリからボルタに至るまでにイタリアの科学界で華々しく展開された実証精神は決して復活することはないだろうと多くの心ある知識人たちがナチス政権下のドイツに関して想い描いたのと同じことをイタリアについて想ったのかもしれない。


フェルミルネッサンス以来の輝かしいイタリアの実証科学精神には忠実でいたかったが、古代ローマ帝国の再起を期して海外に侵攻しようとするファシスト党の考え方には嫌気がさしていた。その年の五月にヒトラーがイタリアを訪れた際にイタリア政府が行った虚飾に満ちた歓待ぶりもフェルミとっては不快でしかなかった。また、前年の始めにフェルミの恩師でローマの物理化学研究所所長だったコルビノ教授が肺炎であっけなく世を去った後、後任の研究所所長に任命されたのは科学者の間で最も評判が高かったフェルミではなく、ムッソリーニ政権に対して恭順な態度を取る別の科学者だった。


イタリアに帰国したフェルミは家族を伴って残りの夏季休暇を過ごすためにアルプス地方の山荘に赴き、自分の今までの研究成果をまとめ、履歴書と共にアメリカのいくつかの大学に送付して教授の職を得られないかどうかを打診する手紙をしたためた。手紙の本文は概ね曖昧で、アメリカ滞在中に大学側から受けた打診、つまり教授の席への招聘を断ったことを謝り、状況が変わったことを短い文章で訴えたものだった。さらにフェルミアメリカの大学宛の書簡をまとめて発送したりしたら郵便局員などに怪しまれる恐れがあると考え、自家用車でわざわざ峠を越えて全ての封書を異なる郵便局から発送した。そして、秋の始めにニューヨークのコロンビア大学などから教授のポストへ招聘するという旨の回答書を受け取ると、フェルミは今度はアメリカ大使館に出向き、自分と妻、そして二人の子供と子供の養育係りの女性の五人の永住ビザを申請した。アメリカ移住のことはごく限られた周囲の人間にだけしか話さず、ローマ大学の同僚に対しては全く秘密にしていた。フェルミ南イタリアなどからアメリカに少しでも高い賃金を求めて移住する貧しい階層の人々に混ざって移民の審査を受けた。フェルミアメリカ大使館の中で自分が目立たないように気を使い、大使館員に言われるままに健康診断や知能検査、簡単な読み書きや二桁の足し算の試験などを受けた。ローマの遅い秋が始まろうとしていたが、丁度その時、フェルミは自分が本年度のノーベル物理学賞候補として有力視されているという噂を耳にした。

(読書ルーム(52) に続く)