【『プロメテウス達よ』エピローグに代えて

「天然ウラニウム崩壊の発見から人工核分裂まで(オットー・ハーンのノーベル賞受賞講演)」2/7

 

一九三二年には陽電子重水素、そして最も重要なこととして中性子が発見されました。中性子は三つの国でなされた探査の結果として発見されました。最初にその存在を予知したのはドイツのボーテとベッカーでした。この二人は透過性が著しく高い放射線があることに気がつき、ベリリウムに照射してみて得られた結果からそれがガンマ線の一種だと考えました。次にはフランスのジョリオ=キューリー夫妻がボーテとベッカーが実験で得たとした「ガンマ線」が実際には水素原子核でも、あるいは陽子でもありえないことを証明しました。そして、イギリスのチャドウィックが終にこの実験結果に決定的な説明を与えました。ガンマ線とならんで、電荷をもたない質量数1の粒子、すなわち中性子が放出されていたのだというのです。ジョリオ=キューリー夫妻が発見した反応は、質量数九、原子番号四のベリリウムに質量数四のヘリウムを加えることによって質量数が十二で原子番号が六の炭素、および質量数一の中性子ガンマ線の放出を伴いながら生成されるというものでした。


中性子の発見によって過去長期間にわたって知られてきた同位元素の正体が解明されるにいたりました。化学元素の原子核は陽子と中性子から成っていますが、電荷を持つ陽子の数が元素の化学的性質を決定し、陽子と中性子の数の総和が原子量を決定するのです。従って、元素に含まれる中性子の数が多いか少ないかはその元素の化学的性質には影響を及ぼしませんが、鉛、水銀などに多数存在し、塩素にも二つ存在すると長年にわたって知られていたいわゆる同位体を形成するのです。一九三二年には水素の同位体、すなわち重水素が発見されました。重水素原子核は陽子と中性子を持ち、(陽子しかもたない)普通の水素の原子量が1なのに対して重水素の原子量は2です。当時知られていた、原子番号が最も大きい元素であるウラニウムも単純な元素ではなく、ラジウムに変化していくウラニウム二三八とプロアクティニウム系列とアクティニウム系列の元素に変化していくウラニウム235とがその中に混在しています。


中性子はまもなく、元素の変化の様を辿るために恰好の手がかりを提供すると目されるようになりました。中性子には電荷がないので、陽電気を帯びている原子核との間に排力が存在しません。しかしながら、ラザフォード卿が示した崩壊過程が、粒子放出によって陽子が原子核を離れるという、自然界で生じてほとんど常に安定した元素が生成される過程を簡略化した図式であるのに対して、ジョリオ=キューリー夫妻が観察した現象は全く新しいものでした。夫妻は一九三四年に、粒子をある元素に照射すると、照射を止めた後にも中性子のみならず陽電子、すなわち正電荷をもった電子が放出され続けるということを発見しました。


このような陽電子の放出は天然に存在する放射性元素の崩壊過程においても観察されていましたが、放射性元素が人工的に作り出されたわけです。最初に作り出された人工放射線元素はボロンとアルミニウムの放射性同位元素でした。放射性ボロンからは放射性窒素が、放射性アルミニウムからは放射性燐が生成し、それぞれの元素は陽電子を放出しながら炭素と珪素に変化しました。この発見によって限りない研究の余地がある分野が新たに開拓されました。これと同時に、原子物理学における実践的研究の可能性が
大幅に拡大されました。


それまで、天然の放射性元素から得られる粒子が放射能を人工的に惹起するための唯一の手段だったのですが、ヴァン・デ・グラーフ発生装置とサイクロトロンも並んで使用されるようになりました。より集中的な放射線照射が行われるようになり、さらに多様な反応を起こすことが可能になりました。


しかしながら、放射線照射にしばらくの間、用いられていたのはラジウムベリリウムでした。この二つの物質はこの先進展していく研究、特に新たに発見された人工放射線の研究に利用するためには十分な中性子源とはいえなかったでしょうが、組み合わせて使用するのが容易でした。このような中性子源は乾燥した粉末状のラジウム塩とやはり粉末化したベリリウムを混ぜ合わせた混合物を金属製の密封容器に入れることによって得られました。ウラニウムそのものは、ラジウムを得られることができるという理由だけで重要視されました。
中性子が核反応を引き起こすための恰好の手段となるということを発見したのはイタリア人科学者のフェルミでした。フェルミは共同研究者たちと共に元素の周期律表に含まれているあらゆる可能な限りの元素に対して中性子線を照射し、複数の元素を人工放射性元素に変えることに成功しました。


一般的に言って、中性子を照射速度を落として照射した場合(注1)には中性子原子核に吸収されます。従って、多くの場合には不安定な放射性同位元素が生成され。それらはベータ線を放ちながら周期律表で一つ上に位置する元素に変化します。ベータ線を放つ元素の変化は自然界に存在する概ね安定した化学元素においても生じます。つまり、フェルミと共同研究者たちはこの実験を周期律表の最後のウラニウムまで行ったのです。その結果、彼らは中性子によって元素の変化が引き起こされることを発見しました。その中には一瞬にして完了する変化もありました。中性子照射によってウラニウムの短命な放射性同位元素が生成されること、そしてその放射性同位元素が他元素に変化して消滅する際にベータ線を放つことから、自然界での例と同じく、周期律表でウラニウムよりも上位に位置する、原子番号九十三番の放射性元素が人工的に作り出された、そして九十四番以降の元素も同様にして作り出すことができるのではないかとフェルミらは考えました。

 

(注1)フェルミが当初に示したとおり、発生した中性子線を水素原子を多く含む物質で遮ることによってその中性子の速度とエネルギー・レベルを低下させることができます。中性子が持つ力学的なエネルギーが水素原子への弾力的な接触によって水素原子に移行するわけです。


フェルミのこの主張は広く承認されたわけではありませんでした。例えば、フェルミの方法で生成され、十三分の寿命しかないことが確認された元素は原子番号九十一番のプロタクティウムであるという可能性を否定することができませんでした(注2)。

 

(注2)イダ・ノダックは別の観点から、異論を唱えました。つまり、原子番号九十三番の元素が生成されたと結論づける前に未知の物質が周期律表に記載されている元素のどれかであるという可能性を疑うべきだと主張しました。しかし、この主張は物理学の常識からはずれていたため、真剣に顧みられることはありませんでした。


(プロメテウス達よ 〜 原子力開発の物語 「エピローグに替えて 3/7  に続く)

 

【参考】

チャドウィック (ウィキペディア)

フェルミ (ウィキペディア)

イダ・ノダック (ウィキペディア)

ジョリオ=キューリー夫妻 (1900年 - 1958年)(1897年 - 1956年) (ウィキペディア

陽電子 (ウィキペディア)

重水素 または  デューテリウム (ウィキペディア)

中性子 (ウィキペディア)

同位元素 または アイソトープ (ウィキペディア)

三重水素 または トリチウム (ウィキペディア)

アルファ線またはアルファ粒子 (ウィキペディア)

ベータ線またはベータ粒子 (ウィキペディア)

ガンマ線 (ウィキペディア)

 

ノーベル賞財団のサイトに掲載されているオリジナル(英文)

 

作品の目次

 

作品の大トリにオットー・ハーンを選んだ理由

オットー・ハーン (ウィキペディア)

『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 エプシロン作戦

Operation Epsilon (Wikipedia)

 

【お知らせ】

下の画像は作りかけの本作品電子版の表紙です。出版社はお任せ出版社のアマゾン(Amazon International Services)です。ということは今のところアマゾン専用の電子ブックリーダーのキンドルのみで講読が可能だということです。こちらはそれほど高額ではありませんが有料となります。キンドル版には次のような優れた点があります。

・ 縦書き表示であること

・ 文字の大きさを変えられ、また字体を変えたり太字にしたりできること

さらにキンドルは数百冊以上の書籍を入れることができ、重量は文庫本並みです。アマゾンはお任せ出版社なので内容や誤字脱字などには自分で責任を持たないといけませんが精一杯努力する所存です。(予想価格:700円 要キンドル)

 

f:id:kawamari7:20211231225606j:image