【読書ルーム(148) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 ソビエトとの確執 8/8 】  作品の目次  このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属します。


【あらすじ】

公聴会を終え、オッペンハイマーは公私共に深い傷を負って政府の原子力政策委員という公の立場から去らないといけなくなった。それでもなおオッペンハイマーにはプリンストン大学アインシュタインの上司兼後継者として後進の科学者を育てるという任務が残されていた。一方で公聴会オッペンハイマーに決定的な打撃を与えたテラーはこの後ロスアラモスで行われた学会で科学者コミュニティーの多数派がオッペンハイマーに味方し、水爆実験に賛成している科学者でさえ、科学者の良心の証(あかし)かつ砦(とりで)であるオッペンハイマーを公職に留めるべきだったと考えていることを思い知る。

 

【本文】

公聴会は五月六日に終わり、公聴会としての結論は五月末に、原子力委員会の最終的な決定は六月末に下されることになったが、公聴会が終わった時にすでにオッペンハイマーは自分には政治向きには何も残されていないということを悟っていた。当局に対する身上に関する嘘を暴かれ、果ては昔の恋人で共産主義者だったタトロックとの不倫関係まで公の場で公表されて神経をすり減らしたオッペンハイマーからは富豪の息子で国民的英雄としての面影は失せ、その姿は見る影もないほどやせ細った殉教者のように変わり果てていた。オッペンハイマーの妻キティーは酒に溺れ、中学生と小学生になる二人の子供は学校で「おまえのお父さんは共産主義者だ。」と言っていじめを受けた。公職からの追放後も長い間、秘密の社会主義陣営への漏洩やオッペンハイマー自身の社会主義国への逃亡などを阻止する目的でFBIの職員が影のようにオッペンハイマ-にはつきまとい、ロス・アラモス時代やそれ以前からオッペンハイマーと親しくしている科学者で水素爆弾の研究に携わっている者はオッペンハイマーとの接触を禁じられ、その他の科学者たちもオッペンハイマーと話しをする時には言葉を選ぶようになった。しかし、それでもなお、オッペンハイマーには、プリンストン大学高等研究所の教授として、そして年老いたアインシュタインの上司兼後継者として物理学者を養成し、学問の場に築かれた平和の砦を守るという仕事が残されていたci[17]。


一連の出来事で大きく傷ついたのはオッペンハイマーだけではなかった。公聴会で決定的な証言をしたエドワード・テラーも、オッペンハイマーの公職からの追放が決定的になった後で自分が取った行為の意味について知らされることになった。


その年の夏、ロス・アラモスで学会が開かれ、テラーも学会に出席するためにロス・アラモスに赴いた。水素爆弾の開発などが行われているロス・アラモス研究所の最寄りのホテルのホールを借りた夕食の席上、コロンビア大学教授のイシドール・ラバイがオッペンハイマーの教え子のカリフォルニア工科大学教授と隣合わせの席で話をしているのを見たテラーは席を立って二人に近づき、満座の視線はそれだけでテラーとラバイに集中した。テラーは以前と変わらない親しさで挨拶をし、ラバイに握手を求める手を差し出した。しかしラバイははっきりと握手を拒む身振りをした上でテラーに向かって冷ややかにこう言った。
公聴会での証言はお見事でしたね。」
同席のカリフォルニア工科大学教授も冷ややかな目つきで恩師の仇であるテラーを見た。非公開のはずの証人喚問でのそれぞれの証言内容はなぜか細大もらさず原子力に関わる全ての科学者が知るところとなっていたのである。満座の視線が自分に注がれていることを感じながら自分の席に戻ったテラーは食事を続けたが、テラーに話しかけるどころかテラーと視線を合わせることさえ避ける満座の科学者たちが醸すその場の雰囲気にいたたまれなくなり、終にテラーは食事の途中で席を立って自室に戻った。ラバイの一言は短刀のようにテラーの心を鋭くえぐり、テラーはホテルの一室で重苦しい不眠の一夜を過ごした後、学会には出席することなしにロス・アラモスを去った。その後十年間、テラーがロス・アラモスを訪れることはなかった。テラーが水素爆弾開発を強力に支持した理由は、ソビエトの介入によって国民の意思に反して今や社会主義化されつつある、生まれ育った祖国のハンガリーを想い、スターリンによって公然と人権蹂躙が行われたソビエトにかつてのナチス・ドイツを重ねたことだった。そして、原子力委員会に対して水素爆弾開発を熱心に提唱することは、一九三九年の夏にナチス・ドイツによる原子爆弾開発という悪夢のような可能性につき動かされ、シラードと共にアインシュタインに大統領宛ての手紙を携えて面会を求めに行ったのと全く同じだとテラーは思っていた。しかし、科学が持つ底知れない力に政治権力がいまだ目覚めていなかった一九三九年と原子爆弾が広島と長崎に投下された後の一九五三年とでは時代が変わっていたのである。また研究成果の発表を自粛するように要請したテラーらを学問の自由の原則を盾にして「偏執狂(ナ ッ ツ)」と呼んで一笑に付した、ノーベル賞受賞者だったとはいえアメリカに移住してきたばかりでアメリカ国籍さえ取得していなかった一九三九年のフェルミと、原子爆弾が広島と長崎で多数の一般市民を殺傷した後で科学者の良心を弁護しようとした国民的英雄のオッペンハイマーとでは置かれている立場が異なり、また科学者全般が置かれている状況も当時とは異なっていた。

 

(読書ルーム(149) 功労者たちのその後 に続く)

 

【参考】

エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、その人となりは「博士の異常な愛情 (Dr. Strange Love)」別題「私は如何にして水爆を愛するようになったか」の中で偏執的な車椅子の科学者として戯画化されています。なお原子力開発の功労者には原子爆弾開発の前にも後にもスェーデン科学アカデミーは多くのノーベル物理学賞ノーベル化学賞を与えていますが、水爆開発に限ればノーベル賞受賞者は恒星が輝く仕組みを解明したハンス・ベーテ以外の科学者はノーベル賞は獲得していないようで、エドワード・テラーは朋友ベーテにロスアラモスでの人事に於いてのみならずここでも出し抜かれてしまいました。

かわまりの映画ルーム(160) 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 〜  古色蒼然の恐怖戯画… 6 点

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