【読書ルーム(144) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第6章 冷戦 〜 ソビエトとの確執 4/8 】  作品の目次   このブログの内容全ての著作権はかわまりに帰属します。


【あらすじ】

マッカシー上院議員の発言に続くオッペンハイマーの解任はアメリカ国民の彼に対する評価を決定的にしたが、オッペンハイマーマンハッタン計画における科学者の立場を代弁するために公聴会の開催を要請して身の潔白を証明しようとし、マンハッタン計画に携わった多くの科学者やレズリー・グローブスが公聴会オッペンハイマーを擁護した。

 

【本文】

マッカーシーのテレビ番組出演の一週間後の四月十二日、原子爆弾を完成し、対日戦争での連合国側の勝利を決定的にした国民的英雄ロバート・オッペンハイマー原子力開発諮問委員会議長からの解任と今後一切の公職からの締め出しが発表された。テレビや新聞でそのニュースが報道されるとアメリカ国民の間に異常な動揺が走った。
「国民的英雄が今まで社会主義国に通じていたというのならば、これからは一体誰を信用すればいいのだ。」と、FBIによるオッペンハイマーの身辺探査の事実を知らない一般市民は嘆いた。解任の事実はオッペンハイマー自身と周囲の人間により大きな衝撃を与えた。オッペンハイマーが解任された理由は近親者が共産党員だというだけではなかった。オッペンハイマー自身が一九三○年代に共産党に傾倒していたという証拠も挙げられ、オッペンハイマー自身はその事実を政治に対する自分の無知と理想主義への傾倒、あるいは若気の至りだったと釈明した。オッペンハイマーの釈明それ自体がマンハッタン計画が開始されてからというもの何度にも渡って行われた思想信条に関する当局の尋問に対してオッペンハイマーが嘘をついていた証だと解釈された。実際、オッペンハイマー共産主義への傾倒はオッペンハイマーマンハッタン計画の科学技術部門の最高責任者に任命された時点ですでにFBIによって把握されていたのである。そして、戦後、広島と長崎の原爆投下に対して深い責任を感じ、政府に対してなんとかして平和主義者としての意見を伝えたいと試みたからこそ、オッペンハイマーは一九四七年にカリフォルニア州立大学を去って東海岸に転居したのである。オッペンハイマーは思想信条に関する当局による尋問にも三十台の若い大学教授だった頃の共産主義への傾倒を隠したりごまかすことについては広島と長崎への原爆投下に対するほどの罪の意識を感じないばかりか、政府に対する発言権を保つためにの方便にすぎないと考えたのであるc[16]。オッペンハイマー原子力委員会連邦政府による不当な処遇に黙ってはいなかった。オッペンハイマーは真相釈明のために証人喚問を伴う公聴会を開催することを要請した。

 

首都ワシントンDCでの公聴会の開催が決定し、国家的なスキャンダルにまで発展したオッペンハイマーの事件に関して、フェルミ、ラバイ、ベーテなどノーベル賞受賞者や受賞候補者が次々と召喚されて喚問を受けた。オッペンハイマーの指揮下のマンハッタン計画で理論部の部長を務め、配下からソビエトのスパイ、クラウス・ファックスを出してしまったコーネル大学教授のハンス・ベーテに対しては特に厳しい口調で尋問が行われた。すべての証人喚問は、お互いが影響しあうことを避けるために報道関係者も傍聴人もなしに進められ、オッペンハイマーの弁護士さえ立ち会うことを許されなかった。マンハッタン計画に参加した科学者の中で水爆の開発を政治的な理由から熱心に勧めたのはローレンスとテラー、兵器開発には基本的に反対しながらも何ごとも実証してみるに値すると主張したのはフェルミとラバイ、残りの科学者は全てオッペンハイマーと同様で水爆の開発には反対したのであるが、政府委員会による尋問はこれら、異なる立場を取った科学者たちの個人的な関係にまで及び、オッペンハイマーを含めて尋問を受けた全ての科学者は政治権力や冷戦という不快極まりない現実に直面させられることになった。


ローレンスとテラーは公聴会の最初の週には召喚されなかったが、実際、前年の暮れに原子力委員長のストラウスがオッペンハイマーに解任を事前通告する前からローレンスは議会下院に対して、テラーは原子力委員会に対して水素爆弾の開発の必要を訴え、一方でゲッチンゲン大学に在学していた頃のオッペンハイマーを知るテラーは情報源の秘匿を要請した上で、オッペンハイマーは情緒不安定な理想主義者で元より公正なものの見方を欠いていると告げた。共産主義を深刻な脅威と感じたローレンスとテラーはナチス・ドイツによる原子爆弾開発の可能性におののいた一九四○年前後と同じ心境になっていたのである。そして、一九三九年の前半に、シラード、テラー、ウィグナー、ワイスコプフら東欧と北欧出身の科学者とイタリアでの名誉職を捨てて自由の国アメリカを選んだフェルミやフランスで学問の自由の原則を守り抜こうとしたジョリオ=キューリーらとの間に学問成果の公開を巡って軋轢が生じた時と同様、ナチス・ドイツに対抗するためのマンハッタン計画で一旦は心を一つにした科学者たちの間に再び亀裂が生じたかのようだった。


ワシントンDCに召喚されたコロンビア大学教授のイシドール・ラバイは公聴会オッペンハイマーの業績を賛え、その人柄を擁護し、さらには声を荒げてオッペンハイマーを糾弾する委員会を非難した。宇宙線に関する研究成果を説くために世界中を講演旅行中だったコンプトンはトルコのイスタンブールからの国際電話で「FBIも当初から知っていたオッペンハイマー共産党入党歴を私はプロジェクトの責任者としてかえって好ましい身上内容だと思った。」と語ってオッペンハイマーを弁護した。ハンガリー出身の数学者フォン・ノイマンは、国際情勢が目下のように変化する以前における科学者の秘密保持の姿勢や政治的ものの見方は極めて幼稚だったがそれはしかたがないことだったと述べてオッペンハイマーを弁護した。マンハッタン計画の最高責任者だったレズリー・グローブスは軍隊関係者としてオッペンハイマーの人柄を称えた。フェルミは時間の制約のせいで発言半ばで証言台から下ろされて不満を残したが、フェルミが訴えようとした内容は概ね、ラバイやコンプトンと同じでオッペンハイマーの誠実な人柄とマンハッタン計画に対する貢献だった。軍隊に所属する科学者や軍人の中にはオッペンハイマーを非難する者もいたが、大学を主な活動の場とする科学者のほとんど全員が政治権力の学問への介入を厄介に感じ、オッペンハイマーを弁護する立場に立った。

(読書ルーム(145) に続く)

 

【参考】

ユージン・ウィグナー (ウィキペディア)

ワイスコプフ (ウィキペディア)

イシドール・ラバイ/イジドール・イザーク・ラービ (ウィキペディア)

フォン・ノイマン (ウィキペディア)