【読書ルーム(128) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第5章  マンハッタン計画 (下) 〜 終わりの始まり 2/2 】  作品の目次

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【本文】

一九四四年六月十五日に激戦の末に日本からアメリカの手に落ちたサイパン島の南西約六キロの海上にティニアンと呼ばれる小島があった。小島といっても面積はマンハッタン島と同じ程度だったが、サイパン島とこの島との大きな違いはサイパン島では島の原住民が昔ながらの生活を営んでいたが、ティニアン島の大部分をアメリカ軍の最新の空軍施設が占めているということだった。


形も面積もマンハッタン島に酷似したこの島はアメリカ空軍の目的に沿って整備され、島内の道路にはマンハンッタンに倣った名称が与えられていた。ただ、島のはずれにある鳥居だけが、この島がかつて日本の勢力圏にあった頃の名残を留めていた。島の整然としたその区画の中にある百二十五丁目と八番街の角にチベット大佐を長とする第五百九複合部隊の根拠地があった。第五百九複合部隊はティニアンに拠点を持つ部隊の中でも出動回数が極端に少なく、何もしない部隊として知られていた。しかし、同部隊のアメリカ本土での拠点である、ユタ州のウェンドーバーの基地では日々、選び抜かれたパイロットに対して厳しい訓練が課され、ウェンドーバーから太平洋のティニアン島に向けて出立する第五百九複合部隊のパイロットを家族たちはいつでも涙ながらに見送った。


一九四五年八月六日の未明、日本時間の午前二時四十五分に第五百九複合部隊の基地からB29を改造して供された戦闘機二機がある特別の目的のために飛び立った。戦闘機の中の一機は第五百九複合部隊の隊長であるチベット大佐の母親の名前であるエノラ・ゲイと名付けられていた。もう一機には科学者の代表としてアーネスト・ローレンスの弟子でカリフォルニア州立大学バークレー校からマンハッタン計画に出向中のルイス・アルヴァレスが乗り込んでいた。ほんの数日前にティニアン島に到着した巡洋艦インディアナポリスから第五百九複合部隊の基地にそれぞれ「リトル・ボーイ」と「ファット・マン」名付けられた二つのある物体が運び込まれたこと、そしてその物体と共に島に下り立った、軍隊の制服ではなく私服に身につけた二十数人の男たちの全員が科学者だということを知る者はティニアン島に駐留するアメリカ兵の中でも稀だった。ましてや二つの物体のうち一つ、戦艦で運ぶまでもない、飛行機でも容易に運ぶこののできる、小柄な大人ほどの重さの物体「リトル・ボーイ」の中にはテネシー州オークリッジに立ち並ぶいくつもの巨大な工場で半年の月日と巨額の費用をかけて採取された重量約二十五キロのウラニウム235が、「リトル・ボーイ」よりも二周りほど容量の大きいフットボールの選手の体型を思わせるもう一つの物体「ファット・マン」の中にはワシントン州ハンフォードの巨大な処理工場で膨大な量のウラニウム放射線を照射することによって得られた人造元素のプルトニウムがつまっていることなど、第五百九複合部隊の中でも知る者は稀だった。


「リトル・ボーイ」を搭載したエノラ・ゲイと追随する戦闘機の二機はティニアン島を離陸すると日本を目指して北北東に進路を取った。夜が明けるころ、二機の戦闘機は日本本土を望見できるほどの距離に接近し、日本の大都市では空襲警報が発令された。しかし、警報は午前八時ちょうどには解除された。二機が日本に近づくにつれ、広島に据え付けられていたレーダーがたった二機の敵機しか迫っていないことを確認したからである。


午前八時十五分、広島市内を流れる太田川が二機の米軍機のパイロットの視界に入った。二機が太田川の上空を通過する際、エノラ・ゲイのハッチが開けられ、「リトル・ボーイ」がパラシュートと共に太田川にかかる相生橋をめがけて投下された。その後、二機の米軍機のパイロットは指示どおり、「リトル・ボーイ」の落下地点から高度を上げつつ飛び去った。パラシュートをつけられた「リトル・ボーイ」が地上に到達するまでには一分近い時間がかかるが、「リトル・ボーイ」が地上数百メートルで威力を発揮するよう、精密なレーダー装置を組み込んだ自動装置がその内部に搭載されていたlxxxii[31]。


「リトル・ボーイ」の投下から四十五秒後、落下地点から遠ざかる二機の米軍機のパイロットの目前までもが背後からの閃光で真っ白になった。その瞬間、追随する戦闘機に搭乗していた科学者のルイス・アルヴァレスはエノラ・ゲイパイロットが判断を誤り、師のローレンスらと共にオークリッジで半年かけて濃縮したウラニウム235が一瞬のうちに無駄になってしまったと思った。雲の合間をぬってかすかに見えた日本本土が広島の市街なのか森なのか、アルヴァレスには全く見分けがつかなかったのである。しかし、飛行訓練と爆撃訓練を重ねた米軍戦闘機のパイロットは自分たちが何をしたのかその時にはっきりと悟った。


「われわれは一体何をしてしまったのだ?」と二機の米軍機のパイロットは心の中で呟いたのに違いない。パラシュートが落下していった地点から立ち上がった巨大なきのこ雲は十分以内に爆弾の落下地点から遠ざかろうとしている米軍機の後方で米軍機の高度と同じ一万五千メーターの高さに達したが、その下ではほんの一瞬前までは男や女や子供や老人など、戦争に関しては何の責任も罪もない一般市民が平穏に暮らしていた。爆心地から一キロ半四方にあった鉄筋コンクリートの補強のない建造物と日本式の民家は熱によって瞬時にして完全に破壊され、半径約五キロ以内の建造物は爆風によって全壊または半壊し、立ち木は根こそぎ倒され、半径約二十キロ以内のガラス窓が爆風によって割れた。
原子爆弾投下の際には夜が更けようとしていたアメリカではマンハッタン計画幹部らの不眠の夜が明けた後、大統領トルーマンがラジオでこう発表した。


「十六時間前にわが国の飛行機が日本の広島市に爆弾を投下し、この都市の日本における機能を破壊しました。爆弾の威力はTNT火薬二万トン分、あるいはイギリスのグランド・スラムの二千倍に相当しました。この爆弾の威力は歴史上最強の規模を持つものでした。」
アメリカ国内でこの知らせに接した人々は一様に驚愕したが、太平洋上に浮かぶアメリカの戦艦の上では日本の降伏と自分達の故郷への無事な帰還を約束するこの知らせに、多くの兵士たちが抱き合って喜びを確かめ合った。


三日後の八月九日、折からの熱帯の嵐の中、第五百九複合部隊のティニアン島の基地から北九州の小倉市を目指して二機の戦闘機が再び飛び立った。午前七時前後、北九州の上空には靄が立ち込め小倉市の市街にあると言われる軍需工場の密集地帯を特定することは不可能だった。二機の米軍機は小倉市の上空を何度も旋回したが、その後、パイロットらは日本軍の戦闘機による追撃を恐れて目標を変え、午前十一時二分、小倉の手前に位置し三菱鉄工の魚雷工場や造船所などが立ち並ぶ長崎で使命を果たすことになった。追随する戦闘機に再度搭乗したルイス・アルヴァレスは、今回は長崎への原子爆弾投下がもたらすものを、搭載した戦闘機のハッチが開かれてファット・マンが投下された瞬間からはっきりと予知できた。アルヴァレスは若い科学者数名と協働でしたためた、日本に住む一人の科学者に宛てた手紙を融点の高い金属の容器に入れて携えていた。手紙の受取人はアーネスト・ローレンス教授の下でアルヴァレスと共に物理学の研究に励んだリョーキチ・サガネという物理学者で、その内容は投下された爆弾が原子爆弾だということ、そして日本が降伏しないならばアメリカは同様の爆弾を投下し続ける用意があるので、日本政府に訴えて戦争の継続をどうにかして断念させてほしいと一介の科学者にしかすぎないサガネに対して懇願するものだった。手紙を入れた容器が核爆発の熱で溶解せず、吹き飛ばされて海ではなく陸地に落ちてサガネのもとに届けられるよう、アルヴァレスは祈りを込めて容器をつけたパラシュートをハッチから投下し、手紙は日本の降伏後に奇跡的にサガネのもとに届けられたlxxxiii[32]。起伏の多い地形によって被害が限られたものの、兵器としては長崎市に投下されたプルトニウム爆弾の「ファット・マン」の物理的な威力ほうが広島市に投下されたウラニウム爆弾の「リトル・ボーイ」のそれよりも大きかった。

 

無条件降伏からアメリカ軍の上陸、占領体制の確立という目まぐるしい動きが開始するのに先立ち、
GHQ原子爆弾の被害の公表を差し止めるよりもずっと以前に、ニールス・ボーアの教え子で東京大学教授の仁科芳雄に率いられた日本人科学者たちは、原子爆弾の威力を明らかにするためのあらゆる手がかりを入手して調べ上げ、その脅威を把握しつくしていた。何よりも、日本人の科学者たちは爆心地の周辺で焼け焦げたり融解して形を失った様々な物質が元は何であったのか、あるいはそれらの融解点や発火点などに関して GHQ が派遣した外国人科学者たちの誰よりもよく知っていた。


広島の爆心地の周囲から集められた各種の物質、爆心地から四千メートルの地点で発火して黒焦げに
なった発火点摂氏二百四十度の木材の電柱、三百五十メートルの地点で溶解した融点摂氏九百度の雲母製の絶縁体、九十メートルの地点で溶解した融点摂氏千三百度の瓦などから総合し、地上数百メートルで炸裂した原子爆弾の爆発の中心の温度は太陽の表面温度にほぼ等しい摂氏約六千度と推定された。高熱の爆心地に向かって周囲から流れ込んだ風の強さは時速五十キロから六十五キロの間で台風がもたらす最大瞬間風速の二倍半から三倍に相当していた。


犠牲者の実数は掴みようがなかったが、広島における即死者の数は七万人から八万人の間、長崎にお
いては即死者の数は四万人前後であり、原子爆弾を直接的な原因とする死者の数は広島では即死者とほぼ同数、長崎ではは二万五千人前後と推定されたlxxxiv[33]。

(読書ルーム(129) 冷戦 に続く)

 

【参考】

ルイス・アルヴァレス (ウィキペディア)

 

仁科芳雄 (ウィキペディア)

 

TNT  または トリニトロトルエン (ウィキペディア'

 

 

グランドスラム (爆弾)  (ウィキペディア)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0_(%E7%88%86%E5%BC%BE)?wprov=sfti1

 

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