【読書ルーム(108) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜 新たな段階とボーアの参加 8/8 】  作品の目次

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【あらすじ】

直接の師弟関係にはないニールス・ボーアオッペンハイマーは瞬時に親交を結びオッペンハイマーはボーアにプロジェクト内部の機密を簡単に明かしてしまったが、ボーアが故国に戻ってドイツに秘密を暴露する事だけは無いと思われた。そればかりかボーアはデンマークに留まっていた間に愛弟子のハイゼンベルクと交わした会話や書簡の内容やユダヤ人として経験したかもしれないナチスドイツのユダヤ人弾圧の様についても一切口を割らなかった。ボーアのこの態度によってマンハッタン計画の従事者はかえってボーアの心中のトラウマの大きさを思いやり、ボーアを一層尊敬するようになっていった。

 

【本文】

オッペンハイマーはボーアに師事したことはなかったが、ハーバード大学の学生だった頃に同大学を訪れたボーアの講演を聴講したことが化学から物理学に専門を変えるきっかけとなり、その後もゲッチンゲンなどでボーアと親しく接する機会を得ていた。ボーア親子と共に大陸を汽車で横断してロス・アラモスに到着したグローブスがボーアとオッペンハイマーを引き合わせた時、グローブスが制止する間もなく、グローブスが部外者に対しては機密にするようにとオッペンハイマーにあらかじめ念を押しておいたような事項をオッペンハイマーがボーアにことごとく話すのに五分もかからなかった。ボーアはアメリカ国民でもイギリス国民でもない、ナチス占領下のいわばドイツの衛星国の市民であり、定義の上では機密外の人間だったので軍人のグローブスは当惑した。しかし、ナチスの圧制に喘ぐ被占領国民を代表しているかのようなニールス・ボーアの存在は、ロス・アラモスでマンハッタン計画に携わる科学者全員の精神的支えと正義感の源泉となった。

オッペンハイマーは家族ぐるみでボーアを歓待した。ボーアは一人でいる時にはいつでも沈みこんでいるように見えた。ボーアを迎えた科学者たちの誰もが、ボーアの憂鬱の原因は戦争が終わればまた再開できるスエーデンに残してきた妻やデンマークに残る部下や教え子との一時的な別離ではなく、一九二○年代に毎夏のようにゲッチンゲンに出張講義に赴いてドイツ人たちとの間に育んだ友情と信頼関係、とりわけハイゼンベルクとフォン・ワイゼッカーとの間で培われた師弟関係と友情がマンハッタン計画に参加することによって二度と元に戻すことができないほど損なわれてしまったからだと察した。オッペンハイマーのドイツにおける恩師のマックス・ボーンはナチスを嫌ってドイツを捨て、イギリスのエジンバラ大学の教授となってイギリス国籍を取得していたが、ボーアの愛弟子のハイゼンベルクはドイツに留まったばかりではなく、ナチスの下で国立研究所の所長を勤めていた。そしてボーアがマンハッタン計画に協力することによって、かつては学問という絆によって固く結ばれたボーアとハイゼンベルクは今や敵と味方に分かれ、その間にはもはや埋めることのできない深い溝が生じてしまったのである。そればかりではなかった。ボーアを慕うロス・アラモスの科学者たちが今正に作り上げようとしているものは、驚異的な大量破壊兵器となってボーアの愛弟子であるハイゼンベルクやフォン・ワイゼッカーの頭上で炸裂するかもしれないのである。

 

オッペンハイマーら、ロス・アラモスでマンハッタン計画に従事する科学者たちには大きな体躯をし、肩を落としてうつむき加減に歩むボーアの後ろ姿がマンハッタン計画の完遂が意味する罪を一人で背負っているように見え、また「原子爆弾完成がもたらす結果は私に任せて、今は自分の職務に専念しなさい。」と語っているようにも見えたのであろう。ボーアの心中を察したオッペンハイマーや周囲のアメリカ人科学者たちはイギリス人科学者たちと同様、デンマークにいた間にボーアとハイゼンベルク、あるいはボーアとフォン・ワイゼッカーとの間にあったかもしれないやりとりの内容に関して一切触れることはなかった。

 

実際、ボーアはドイツの原子力開発計画に関して、一九四一年の秋にハイゼンベルクの訪問を受けた時
の曖昧な会話から推測できること以外、連合国側の関係者が期待するような具体的な情報は何も持っていなかったのである。ナチス・ドイツで国立研究所を勤めるハイゼンベルクが、いくら恩師であるとは言え、原子力開発計画の進捗状況の詳細を機密外の人間洩らすはずがなく、「この戦争が終わるまでに原子爆弾などが開発されないことを願うばかりです。」という言葉も本心から出た言葉なのか、あるいはボーアを撹乱させるために発せられたのか、ボーア自身にさえ判断がつかなかった。加えて、小国デンマークでは想像もつかないような大規模な原子力開発計画がアメリカで進行しているのを目の当たりにするにつけ、ボーアはドイツでも同じ規模の原子力開発計画が進行中であると信じるようになっていた。

 

ボーアは数度に渡ってロス・アラモスを訪ね、それぞれの訪問の際には数週間を費やしてマンハッタン計画に必要な助言を与えた。北国の自然をこよなく愛するボーアにサンタ・フェからロス・アラモスにかけての砂漠の風景は目新しかったが、冬にロス・アラモスを訪れた時にはボーアは科学者の車に便乗して冠雪した山に行き、スキーを楽しんだ。そのボーアに衝撃的な知らせが届いたことがあった。コペンハーゲンのボーアの研究所がゲシュタポによって捜索を受け、研究所に宿泊していた科学者が逮捕され、実験データや実験器具が押収されたというのである。そればかりではなかった。ナチスに反感を持つコペンハーゲンの市民がボーアの研究所をナチスに利用されないようにするために研究所の爆破を計画し、職員の説得であやういところでこの計画が計画に留まったというのである。コペンハーゲンから脱出した元ボーアの研究所職員だったデンマーク人が経験したとして間接的にこの知らせを聞き、ボーア、そしてボーアからさらにこの話を伝え聞いたマンハッタン計画の上層部は、ドイツによる原子爆弾開発はもはや疑いのない事実だと信じるようになったlv[4]。その頃にはロス・アラモスでマンハッタン計画の専門的な仕事に従事している科学者や技術者たちは週末の一日を返上して週六日、真夜中まで働くのが常になっていた。

(読書ルーム(109) 欧州の戦況と科学者諜報部員 に続く)

 

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