【読書ルーム(92) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜 パイロット(水先案内人)の終着地 4/4 】 作品目次

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【あらすじ】

雄大ハドソン湾を越えてニュージャージー州の自宅とニューヨーク市コロンビア大学の間を行き来する生活はフェルミにとって捨て難かったが、コンプトンは選んだ祖国アメリカに対する忠誠心の証としてシカゴに引っ越すことを勧め、フェルミはこれに応じた。フェルミに届く私信は特にイタリアからのものの場合何者かによって開封されて検閲を受けていたが後ろめたいことのないフェルミは次第に慣れ、フェルミに荷物持ち兼護衛の屈強で話し相手にもなれる高学歴のイタリア系兵士が常に付き添うことで一応の妥協が得られた。原子力開発の拠点設定と同時に軍の介入による秘密厳守が測られるようになり、原子力開発計画には「マンハッタン計画」という暗号名(コード)が与えられるが、これはフェルミとシラードが原子力開発に着手したコロンビア大学ニューヨーク市マンハッタン区にあったからだと言われる。

 

【本文】

それから間もなく、ニューヨークのコロンビア大学で研究を続けていたフェルミのもとにコンプトンから電話があった。連邦政府が国を挙げて原子力開発に乗り出すので、フェルミ本人とその家族がシカゴに引っ越すだけではなく、主な助手も全員連れて、実験室と設備の全てをシカゴ大学の金属研究所に移管してほしい、とコンプトンは言ったがフェルミは何とか理由を見つけて要請を断ろうとした。フェルミはニューヨークの街並みやコロンビア大学のたたずまい、緑に囲まれたニュージャージー州レオニアの自宅や雄大なハドソン河にかかるジョージ・ワシントン橋とハドソン高速道路を通る毎日の自動車通勤を捨てたくはなかった。しかし、コンプトンはこう言い放った。
アメリカ国籍の取得を考えているのなら、連邦政府が推進する国家事業に協力してアメリカに対する忠誠心を表明しなければいけない。」

 

コンプトンのこの言葉にフェルミはしぶしぶ、ニュージャージー州レオニアに購入したマイホームを諦めてシカゴに引っ越すことを承諾し、シラードも同様にシカゴに転居することになった。しかし、コロンビア大学ですでにかなりの規模で世界初の原子炉になるかもしれない装置を組み立てていた二人は、早急にシカゴに移るのではなく、実験の成果を見ながら漸次、装置などをシカゴに移動させた。やがてフェルミはニューヨークとシカゴの間に限って州境を越えて無制限に移動する許可を取得したが、この頃から、フェルミは敵性外国人に加えて科学者であるということで、フェルミの元に届く、あるいはフェルミが投函する全ての私信は開封され、検閲を受けることになった。フェルミは憤って郵便局に抗議した。すると、機転の利く郵便局員が「外国からあなたの元に届く手紙はうちに着いた時には全て開封されていました。外国で検閲されているのだと思います。」と答え、腑に落ちないまま、苦い思いをしながらもフェルミは笑いこけた。戦争は全ての人間になんらかの不自由を強いていた。アメリカにとっての敵国イタリアで科学上の重要な発見があった場合、その内容を記載した手紙などが姉や昔の友人経由でアメリカにいるフェルミのもとに届けられるようなことでもあれば、それはイタリアにとって大きな打撃になるはずである。イタリアとアメリカの当局の疑いにはきりがなかった。郵便検閲に関するフェルミの怒りは一応は静まったが、その後、フェルミには護衛の名目で常に軍人が付き添うことになった。フェルミに付き添うことになった兵士は法律大学院を出たイタリア系の明朗な青年で、どこへ行くのにもフェルミの助けにはなっても邪魔にはならず、フェルミと楽しい道中を共にしたが、実際、政府は敵性外国人かつ世界有数の科学者であるフェルミを監視する目的も兼ねてこの兵士をフェルミに付き添わせたのである。

 

フェルミには結局、戦争が終わるまで常に護衛が付き添ったのであるが、フェルミらイタリア系市民が敵性外国人扱いされたのはその年の秋までだった。それはイタリア系移民の、父祖の国イタリアを席巻したファシズムに対する憤りと意思統一の賜物だった。イタリアからアメリカに移住してきた人々は、個々の理由はどうあれ、ルネッサンスを生んだ栄光の国イタリアの文化を自由と民主主義の下で開花させようとして大なり小なりの努力をしてきたのであり、ムッソリーニは彼らにとって父祖の国の同胞たちから自由と民主主義を奪った敵だったのである。イタリアからの移民はその年、折りしもコロンブスアメリカ大陸望見の四百五十周年を記念する十月初旬のコロンバス・デーに、イタリアのファシズムに反対する大々的な示威を行うことを決定し、イタリア系移民の明確な意思表示に接したルーズベルト大統領はイタリア系市民を敵性外国人とみなさないことを決定した。全てのイタリア系市民が自由と民主主義の価値を理解し、ノーベル賞受賞者アメリカに移住したフェルミを誇りに思っていた。イタリア系市民の意思は一つだったxliii[2]。

 

フェルミコロンビア大学で建設に着手した世界で初めての実験用原子炉のシカゴの移送を完了し、あとはニュージャージー州レオニアで学校に通う二人の子供の学期が終了するのを待って所帯を挙げて引っ越すまでになっていたころ、ヴァネヴァー・ブッシュら国防研究委員会は大統領に対して更なる提案を行っていた。それは原子力開発への軍隊の積極的な関与だった。原子力開発が兵器の開発に繋がるのならば、軍隊の関与は当然だったが、国防研究委員会はシカゴ大学に集められた一線級の科学者だけでは機密を維持しながら兵器開を成功することは困難だと考えた。場所の問題一つにしても、ウラニウム235分離やプルトニウム生成が軌道に乗れば大規模な工場設備が必要になり、その部分は敷地面積も限られているシカゴ大学の敷地から離れた場所に移らざるを得ないと思われた。機密を維持しながらの用地確保や大規模な建設工事は科学者たちのなせる技ではなく軍隊の独壇場だった。

 

国防研究委員会、行政府、そして軍隊の責任者などとの間で頻繁な会合が行われた後の八月十三日、官、学、産業の大規模な協働を要する原子力開発計画は一大国家機密プロジェクトとして暗号名を与えられることになった。「マンハッタン計画」がそれである。名前の由来について明確に語る者は誰もいなかった。ただ、誰彼となく言い出したこの名称が暗号名として採用された。中性子照射の世界的権威であるフェルミと最初に大統領に原子力開発の必要性を説いたシラードの二人がニューヨーク、マンハッタンのコロンビア大学に所属していたことがその理由であると思われる。

(読書ルーム(93) 軍の関与と計画の拡大 に続く)

 

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