【読書ルーム(90) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス達よ』第4章  マンハッタン計画 (上) 〜 パイロット(水先案内人)の終着地 2/4 】  作品目次

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【あらすじ】

ニューヨークのコロンビア大学でシラード共に核分裂の継続的反応惹起に取り組んでいたフェルミは日本軍による真珠湾攻撃などの戦況の拡大には目もくれず、ナチスドイツの下で原子力大量破壊兵器の製造に応用される可能性にも敢えて目をつむり、ひたすら人類に新たなエネルギー源をもたらすことだけを年頭に実験と検証に勤しんでいたが、コンプトンはそのフェルミに政府が研究開発予算を拡大したという知らせをもたらす。原子力の兵器への応用には 1. 核分裂連鎖反応の惹起と制御、2. ウラニウム235の濃縮という2つの難題があったがフェルミは否応なしに前者を引き受けさせられることになった。

 

【本文】

この頃、エンリコ・フェルミコロンビア大学で一九三九年の年初から取り組んできた、核分裂の連鎖反応を継続されるためのウラニウム235の臨界量削減の問題にいまだに取り組んでいた。当初の中性子線照射とそれに伴う核分裂の後、新たに放出される中性子が散乱したり吸収されたりして失われるのを阻止し、新たな核分裂を有効に引き起こすようにすることだけがフェルミの頭を占めていた問題だった。同じ大学の同じ建物の中で化学者のユーリーがウラニウム235を天然ウラニウムから分離しようと試みていたが、フェルミウラニウム235の分離を全く念頭に置かず、ウラニウム238とウラニウム235が九十九対一の割合で混在する天然ウラニウム核分裂の連鎖反応を引き起こそうとしていた。フェルミの研究が成功し、かつウラニウム235が分離された場合、かつてシラードが草稿をしたため、アインシュタインの署名を得てルーズベルト大統領に提出された書簡の中で「船によって運び、港やその周辺の都市をことごとく破壊する兵器」と説明したウラニウム爆弾が、船ではなく飛行機によって運ばれ、敵地をより確実に攻撃することが可能な大きさと重量の大量破壊兵器となるのである。このような恐るべき可能性を知りながらも、フェルミは自分が携わっている研究の是非に疑いをさしはさむことはなかった。フェルミには強い信念があった。

 

核分裂の連鎖反応惹起はわたしが実現しなくても誰かがどこかで実現するだろう。だったら、この試みをやり遂げるのはその結果を、それがいかなるものであれ、自由と民主主義の国家に渡すことができるこのわたしでなければならないのだxlii[1] 。」


核分裂の連鎖反応を実現させるのは自分でなければ誰なのか、フランスのパリで同じ研究に取り組み、ウラニウム核分裂による中性子放出に詳細な数値データを提供したジョリオ=キューリーのチームがナチス・ドイツによるパリの陥落によって研究の道を閉ざされ、ナチス・ドイツの占領下にあるコペンハーゲンに居残るニールス・ボーア指導下のチームの活動もそれなりに困難になったのに相違ない今、アメリカ以外の国にいる物理学者のうち核分裂の連鎖反応を実現に最も近づいているのはハイゼンベルグが所長を務めているドイツのカイザー・ウェルヘルム研究所の研究チームをおいて他には考えられなかった。


一九三九年の夏、フェルミとハイゼンベルグミシガン州アン・アーバーのサミュエル・ゴードスミット(オランダ語 = ハウシュミット)の自宅で歓談した際、三人の物理学者の念頭にあったのは生物体である薪やその変性物である石油・石炭などを消費せず、酸素も必要なく、二酸化炭素を放出することもない夢のエネルギー源の開発だった。もちろん、燃料であるウラニウム235を天然ウラニウムから分離することができれば、それは破壊的なエネルギーの放出に繋がることになるのであるが、ミシガン州アン・アーバーで出会った際、フェルミもハイゼンベルグも困難を伴うそのような可能性には一切言及せず、またナチス占領下のコペンハーゲンにいるニールス・ボーアウラニウム235の分離が困難であることから、核分裂大量破壊兵器の製造に利用される可能性を信じてはいないと伝えられていた。しかし、フェルミが連日実験を繰り返すコロンビア大学の同じ敷地内で、重水の発見によってノーベル化学賞を受賞したハロルド・ユーリーが、ゲッチンゲン大学からジョンス・ホプキンス大学に移ったジェームズ・フランクの考案に端を発するガスを用いた方法で、また大陸を隔てたカリフォルニア州バークレーではアーネスト・ローレンスがサイクロトロンの電磁場を利用してすでにウラニウム235の分離を試みていた。しかも、ローレンスの教え子シーボーグが生成に成功した人工元素プルトニウムウラニウム235と同様、核分裂を起こす物質であるということが明らかになっていた。原子力に関してアメリカではこれだけの進展があったのであるが、日本によるハワイの米軍基地攻撃を契機としてもはや完全な敵国となったドイツでは何がどのように進展しているのか、フェルミにも原子力開発に携わる他の科学者たちにも全く想像がつかなかった。そして、ハイゼンベルグらカイザー・ウェルヘルム研究所のチームにアメリカよりも先に核分裂の連鎖反応を実現させるわけには絶対にいかなかった。もしドイツが世界初の核分裂の連鎖反応に成功し、ウラニウム235の分離や核分裂を起こす元素の発見などの他の条件においてもドイツがアメリカを抜きん出たならば、それは核分裂によって放出される莫大なエネルギーが狂気のナチスに利用されるということを意味していた。

 

ナチス・ドイツによる原子爆弾の開発という恐るべき可能性を念頭に置きながらもフェルミはそのことは決して口には出さず、ただ黙々と研究に励んだ。コンプトンの訪問を受けた際も、フェルミは日本によるパール・ハーバー攻撃やアメリカの参戦の可能性などには触れず、研究の進捗状況を淡々と述べただけだった。フェルミ中性子を吸収して核分裂を減速させる物質について知り尽くしていた。フェルミが目指していたのは核分裂の速度を完全に制御することだったが、目下の段階では中性子を吸収させることによって核分裂を減速させることは容易だったが、核分裂を継続させたり、また一旦収束しかけた核分裂を新たに加速したりすることができなかった。核分裂の完全な制御は、爆弾のような大量破壊兵器の作製には必要ないかもしれないが、発電などの平和利用にとってはなくてはならないものだった。

 

向こう半年間の予算承認という結果を得ることに成功したコンプトンの要請を受け、フェルミらはクリスマス休暇も返上して実験を続けることを約束した。

(読書ルーム(91) に続く)

 

【参考】

レオ・シラード (ウィキペディア)

フレデリック・ジョリオ=キューリー と イレーヌ・ジョリオ=キューリー (ウィキペディア)

ヴェルナー・ハイゼンベルク (ウィキペディア)

ジェームズ・フランク (ウィキペディア)

アーネスト・ローレンス (ウィキペディア)

コロンビア大学 (ウィキペディア)

 

【お知らせ】

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