【読書ルーム(74) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第3章  プロメテウスの目覚め〜時は移る 8/8 】  作品目次

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【本文】

一九四○年五月十日にナチス・ドイツがベルギーを占領し、ベルギー領コンゴにあるウラニウム鉱山のナチス・ドイツによる掌握が時間の問題となると、シラードの知己を得た経済学者アレキサンダー・・サックスは居ても立ってもいられず、翌日には大統領宛てに、十五日にはワトソン将軍宛てに書面でウラニウムに関する研究開発を加速するよう要請した。大統領はいまだ本腰を入れてこの問題に政府を挙げて取り組む姿勢を少なくとも公には見せてはいなかったが、それでもカーネギー研究所の所長ヴァヴァー・ブッシュを委員長とする国防研究委員会を設置して可能性を探らせることにしていた。この新しい委員会の指導の下、陸海軍の予算が従来よりも容易に関連研究機関に充当されるようになった。一九四○年の十一月には新たに四万ドルの補助金コロンビア大学フェルミ核分裂研究チームに交付されることになった。翌年一九四一年の十一月までにはプリンストン大学シカゴ大学ジョンズ・ホプキンス大学コーネル大学ミネソタ州立大学、バージニア州立大学、アイオワ州立大学、カリフォルニア州立大学、スタンダード石油社、カーネギー研究所などへの、合計三十万ドルの補助金交付が承認された。

 

一九四○年の始め、ニューヨーク・タイムズ紙のウィリアム・ローレンス記者は新しいエネルギー源と恐ろしい兵器開発の両面を備えた核分裂への国を挙げての取り組みや一般市民の関心が今ひとつ盛り上がらないことに苛立っていた。そこに、カイザー・ウィルヘルム研究所の所長ペーター・デバイがアメリカに亡命するという知らせが入った。ローレンス記者はデバイがアメリカに到着するなり取材に赴いた。

 

デバイがウィリアム・ローレンスに語ったのはすでにシラードらに噂としてイギリスから伝わっていたこと以上のものではなかったが、それでもローレンスは特ダネ記事の材料にやっとめぐり遭えたと思って勇み立ったのである。しかしローレンス記者の期待とはうらはらに、ニューヨーク・タイムズの記事が一般市民の間で特別な関心を呼び起こすことはなかった。ローレンス記者にはそれ以上に不可解なことがあった。それはドイツで進行しているらしいこの恐るべき事実に対してアメリ連邦政府が何らの反応も示していないということだった。しかし、ウィリアム・ローレンスが感じたことは誤りだった。アメリ連邦政府はドイツに対して脅威を感じれば感じるほど、報道機関に対して慎重な姿勢を取り、情報の開示を避けるようになっただけだったのである。

 

ベルギーで生まれ育った実業家サンギエはこのローレンス記者の記事に接した。サンギエがウラニウムが科学界で話題になっていると初めて知ったのは、ナチスのベルギー侵攻の前年、一九三九年の半ば頃、商用でイギリスに滞在していた時だった。サンギエはベルギー領コンゴに鉱山を所有していた。サンギエはニューヨーク・タイムズとサタデー・イブニング・ポストに掲載された記事を熟読したが、記事は曖昧でサンギエには何が起きているのかさっぱり理解できなかった。学術誌を求めてウラニウムに関してどんな研究開発が行われているのか知ろうとしたが、カリフォルニア州立大学バークレー校のアーネスト・ローレンス教授の論文を読んでもサンギエには何も理解することができなかった。

 

一九四一年の三月にサンギエはアメリカ政府に召喚され、ベルギー領コンゴに所有している鉱山に関して各種の質問を受けたが、サンギエにはアメリカ国内で何が進行中なのか皆目見当がつかなかった。しかし、サンギエの祖国ベルギーは一九四十年にナチス・ドイツに侵略され、サンギエがベルギー領コンゴに所有している鉱山も、もしそこから産出するウラニウムが軍事的に有用なものであるならば、いつ何時ナチス・ドイツによって押収されるかもしれなかった。サンギエは意を決した。

 

サンギエにとってウラニウムの用途に関する不明な点は不明なままでよかったが、無用の長物と思われていたウラニウムにもし何らかの素晴らしい価値があるのならば、その価値を享受するのは決して憎むべきナチス・ドイツであってはならなかった。ベルギー領コンゴで産出するウラニウムの幾分かがいずれかはナチス・ドイツに押収されて利用されるのはいたしかたないとして、できる限りの分量をナチス・ドイツとはっきりと袂を別つ国に今のうちに売却しておけば、それは愛国心にも利にもかなう一石二鳥ではないか、そう考えたサンギエは先物投機の賭けに出た。

 

サンギエは所有するベルギー領コンゴの鉱山でウラニウム鉱を間断なく採掘させ、ポルトガルアンゴラの港に運ばせて船に乗せた。船の行く先はドイツと交戦中の狭い島国イギリスでもなければ、もちろんすでにドイツに占領されているフランスでもなかった。アメリ東海岸、ニューヨーク湾に位置してマンハッタン島を北に望む、ニューヨーク市の一部とは言え、荒涼とした原野が大半を占めるスタッテン島ならばウラニウム鉱の保管に要する費用もそれほど高くなく、運び込んだウラニウム鉱を必要になればすぐに売却・搬送することができた。ベルギー人としての愛国心と商魂の両方に突き動かされたサンギエはまだ価値があるかどうかもわからないウラニウム鉱の採掘、運搬と保管に多大な私財を投じた。

 

一九四一年の十月までに、サンギエは何隻もの貨物船を使ってウラニウム鉱をアフリカのコンゴからはるばるニューヨーク湾のスタッテン島に運び込み、アメリカ政府に売却しようと努力した。しかし、アメリカ政府の回答は曖昧なものでしかなかった。サンギエがスタッテン島に運び込んだ、世界で最もウラニウム含有量の高いウラニウム鉱の総量は千二百五十トンに達していたが、サンギエは商売人として実行した大きな賭けの結果を辛抱強く待つことにした。期が熟せばいつでも用立てることができるよう、スタッテン島に積み上げられたウラニウム鉱石の山を見上げてサンギエはこうつぶやいたに違いない。

アメリカとわが祖国ベルギーが手を携えてナチス・ドイツと戦う時が来たら役立ってくれよ。いや、きっと役立ってくれることだろう。」xxxvi[10]

(読書ルーム(75) 再び錬金術 に続く)

 

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