【読書ルーム(68) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第3章  プロメテウスの目覚め〜時は移る 2/8 】


この記事の内容全ての著作権はかわまりに帰属します。

 

【本文】

「なぜ、コロンビア大学の教授のポストを断ったのか?」と尋ねるフェルミとゴードスミットに対するハイゼンベルクの答えはやはり定まっていた。

「ドイツが私を必要としている。」

次いで、フェルミユダヤ人である自分の妻の実家の人々をひどい目に遭わせているイタリアのファシスト党を非難し、このような政府の下では思う存分に学問を追求することはできないと言った。これに対してハイゼンベルクは国民一人一人の真摯な努力によって悪い政府は必ずや態度を改めるか、あるいは良い政府に取って替わられると主張し、二人のノーベル物理学賞を受賞者の政治論議は平行線をたどったxxxiii[7]。

 

生まれ育った祖国にあくまでも忠実であろうとするハイゼンベルクの政治や国家に関する考え方はファシスト政権を嫌ってイタリアからアメリカに渡ったフェルミとオランダに両親を残してアメリカに帰化したゴードスミットの二人のそれと全く相容れなかったが、学問の自由を求めてアメリカに移住したフェルミとゴードスミットの二人にとってのみならず、ナチス支配下で理論一途の生活を送る純粋ドイツ人のハイゼンベルクにとってさえ、世界はいまだ平和だった。しかし、三人の科学者を生んだそれぞれの国家は、三人がビールを酌み交わしながら歓談している間にも、ミシガン湖の西岸に沈む夕陽のように確実に凋落の一途をたどっていたのである。

 

八月の始め、ハイゼンベルクはドイツへの帰途に着いた。夏期講座や特別講座の講師の役割は果たしたが、ハイゼンベルクの祖国ドイツを思う気持ちはゲッチンゲン時代の同窓生やドイツからアメリカに渡ったユダヤ人科学者たちの誰にも理解されなかった。ハイゼンベルクがドイツに帰国してから約半月後の九月一日、終に全世界を震撼させる事件が勃発した。ナチス・ドイツの軍隊がポーランドに侵攻したのである。二日後、イギリスとフランスがドイツに対して戦宣布告し、第二次世界大戦が始まった。ハイゼンベルクは絶望し、デンマークの首都コペンハーゲンにいる師のボーアに宛てて次のような手紙をしたためた。

「長きにわたってお世話になりました。運命が私達をどのように導いていくのか想像もできません。もうお会いすることはないかもしれません。」

 

当時、ベルリンのカイザー・ウィリヘルム国立研究所の所長は分子構造の専門家でオランダ国籍を持つペーター・デバイだった。女性科学者マイトナーなどの優秀なユダヤ人科学者を研究所に留めるために別の財源を工面したのもデバイだった。しかし、ナチス政府は軍事関連の研究開発の中枢となる国立研究所の所長が外国人であってはならないと考え、デバイにドイツ国籍を取得するか、あるいはドイツ国社会党、すなわちナチスに対する忠誠を誓うかのいずれかを選択するよう要求した。デバイは回答を引き延ばし、翌一九四○年の四月、アメリカから講演の要請があった機会を捉え、ナチスがドイツを支配している限りは決してドイツに戻らないことを心中で誓いながら三十年間住んで地位を築いた第二の故郷ドイツを去った。三年前にノーベル化学賞を受賞したデバイが何の前ぶれもなくアメリカに渡っても就職口に困ることはなく、デバイは広いニューヨーク州の中央、山岳地帯にある名門コーネル大学の教授に迎えられた。老科学者デバイの後任には三十八歳のハイゼンベルクが就任することになるxxxiv[8]。ナチス・ドイツに対する憎悪から生まれ育った祖国オランダを飛び越えてアメリカに渡ったデバイとは異なり、ハイゼンベルクは祖国ドイツを支配する政府がどれほど邪悪であろうと、ドイツを捨てることだけはどうしてもできなかった。

 

カイザー・ウィリヘルム研究所の所長に任命された時、ハイゼンベルクはことによると本格化するかもしれない核分裂エネルギー利用の研究を掌中に収められるようになったことだけを天に感謝した。

(読書ルーム(69)に続く)

* *

 

【参考】

ピーター・デバイ (ウィキペディア)