【読書ルーム(49) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜一時代の終わり 4/4 】  作品の目次

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【本文】

フェルミとその助手たちは「コルビノ教授の池」と呼ばれる研究所の中庭の池で中性子線照射の実験を続けていた。フェルミは自分が目指している究極的な目標がわからず、ただ、人工的な放射線惹起を組織的に行うことだけに専心していた。そうして惹起された放射線がどのような用途に供されるのか、医学面でか、あるいは新物質生成などの化学の方面においてなのか、それさえも物理学が専門のフェルミにはわからなかった。ただ、中性子線を照射した後の物質の性質を特定するために、フェルミは化学者をチームに加え、ウラニウム中性子線照射した後のウラニウムがしばらくの間、放射線の一種であるベータ線を放ち、ベータ線が停止した後の残存物質にウラニウムとは異なる化学的性質があることをつきとめていた。天然に存在するある種の元素がベータ線を発しながら周期律表で原子番号が一つ上の元素に変わることは物理学者や放射線化学者の間ですでに一般的に知られていた。
「元素の周期律表でウラニウムの次に位置されるべき、最高の原子番号九十三番の元素となる物質が人工的に生成されたのかもしれない。」とフェルミは考え、その仮説を物質生成の方法と共に学会誌に発表した。


これに対して、反対意見を声高に唱えたのはドイツ、フライブルク大学教授で女性化学者のイダ・ノダックだった。イダ・ノダックは新元素発見の夢に取り付かれ、少女時代にすでに原子番号七十五番のレニウムを発見していたが、専門を同じくするヴァルター・ノダックと結婚した後、夫と共に希土類と呼ばれる一群の元素に関する世界的権威と目されるようになっていた。一九三四年にも、チェコスロヴァキアで発見されたと一時期騒がれた、周期律表でウラニウムの次に位置する原子番号九十三番の元素の存在を否定したイダ・ノダックはウラニウムへの中性子照射によってフェルミが生成したと信じている物質は実際には元素の周期律表でもっと下位にある元素なのではないかという推論を熱心に推した。しかし、原子番号九十二番で九十二の陽子と百六十以上もの中性子がひしめいているウラニウム原子核中性子照射によって二つ以上に別れたというノダックの推論は、物理学の知識がない者の思いつきにすぎず、また、ノダック夫妻の分析技術をもってしても生成された物質を特定することはできなかった。


ユダヤ人であるのにもかかわらず、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム研究所に留まって研究を続けていたリーゼ・マイトナーはしかし、フェルミらの実験結果を頭ごなしに否定することはなかった。ただ、原子番号九十三番の元素が人工的に生成されたのかどうかという問題に関しては即答を避け、ただ、同じ研究を自分と共同研究者で化学者のオットー・ハーンによって継続させてほしいと丁重に申し出た。フェルミは恩師のコルビノ教授の勧めに従って中性子線照射による人工放射線の惹起に関して特許を取得していたが、純粋に学問的な目的のためには研究を渡すことを快く承諾した。

 

同じ頃、パリで人口放射能の研究に従事していたジョリオ=キューリー夫妻と共同研究者のサヴィッチは中性子線をウラニウムに照射した後に生成された物質は希土類の元素に属すると発表した。しかし、フェルミにしてもジョリオ=キューリー夫妻にしても、ウラニウムへの中性子照射によって生成された物質の量が極めてわずかだったため、その性質を特定することは物理学者や並の化学者のなせる技ではなかった。


中世以来の錬金術の夢に魅せられた物理学者たちは自分達が生成した物質の素性もわからず、惹起
に成功した人工放射線の使い道もわからず、また自分達が取り組んでいることがいつの日にか何か人類に画期的な物質的利益をもたらすのか、あるいは理論の飛躍的な発展をもたらすのか、それさえもわからないまま、実験に取り組んでいた。


折りしも、フェルミらが研究を行っているイタリアはムッソリーニ政権の下で北アフリカにおけるイタリアの権益を拡大しようとしていた。資本主義の矛盾を解決するはけ口を海外に向けることはすでに日本が中国大陸に傀儡国家の満州国を樹立することによって行っていた。満州国建設によって世界の世論の批判を受けたことから日本は国際連盟を脱退し、ナチス政権下で同様の拡張政策に走ろうとしていたドイツもそれに倣った。海外侵攻が資本主義の矛盾を解決するはけ口である以上、これに反対する言論、あるいは共産主義思想などはことごとく抑圧された。言論統制は自然科学にまで及んではいなかったが、ナチス・ドイツ下でのユダヤ人弾圧は結果的には優れたユダヤ人による研究成果の公表が禁止され、言論統制と同様に学問の発展を阻んでいた。フェルミらはナチス・ドイツに好意的なムッソリーニ政権が遅かれ早かれナチスと同じ政策を採用するのではないかと恐れた。イタリアは一九三七年に国際連盟を脱退し、日本やドイツと共に国際社会での孤立の道を選んだ。

(読書ルーム(50) 赤ん坊は難を逃れるに続く)

 

【参考】

ファシスト党 (ウィキペディア)

 

エンリコ・フェルミ (ウィキペディア)

 

イダ・ノダック {ウィキペディア}