【読書ルーム(40) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第2章  新時代の錬金術師たち〜科学の教皇旧大陸を去る. 7/8 】

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【本文】

ジョリオ=キューリー夫妻による人口放射線の惹起とチャドウィックによる中性子の発見の知らせを聞いたフェルミはじっとしてはいられなかった。物質の核心に迫る目的のために、電気的に中性な中性子はきっとアルファ線よりも有効に機能するだろう、とフェルミは考えた。化学的性質は同一なのに質量が異なる同位体の存在はチャドウィックが提唱した中性子によって完全に説明された。しかし、他数の陽子や中性子原子核の中でひしめきあっている質量数の高い元素の原子をプラスの電荷を帯びたアルファ線によって操作することはできなかった。原子核が高いプラスの電荷を持っているため、同じプラスの電荷を持つアルファ線を排斥してしまうからだった。「中性子を使えば原子核の内部を確実に変えることができると考えたフェルミの念頭には中世以来、数知れない錬金術師が試みて果たすことのできなかった元素の転換や自然界で発見された元素の中で最も原子番号の高い、言い換えるならば原子核が擁する陽子の数が最も多いウラニウムよりもさらに原子番号の高い元素を人工的に作り出すことやそ

の他数知れない可能性があった。

 

フェルミはまず、ラジウムから照射されるアルファ線ベリリウムに当てて中性子線を放出させ、そして、その中性子線を更に各種の物質に照射してその結果を見ることにした。

二十代の若さでローマ大学の終身教授の座に就任した理論物理学の大家フェルミのこの考えに多くの同

僚は笑いながらこう言った。

「あなたほどの理論物理学の大家が中世の錬金術師の真似事ですって!」

しかし、フェルミは真似事ではなく、元素の転換、すなわち錬金術を本気で試みようとしていた。二十世紀の幕開けと前後し、レントゲンによるX 線の発見、ベクレルによる放射線の発見、キューリー夫妻によるラジウムの発見などが理論物理学の新天地を開いたのならば、理論を道標として新しい物理現象を発見することも可能なのではないかとフェルミは考え、その第一歩として数々の元素への中性子照射を開始した。

 

大学の講義を行う時以外、フェルミは常に作業服を身につけて中性子照射の実験に勤しんだ。フェルミの関心は中性子線の照射によって放射線が惹起されるか否かに留まらず、対象となった物質が放出する放射線の強さと放出の継続時間にも及んだ。すると、当初に中性子線を放出する場所とは別の実験室が必要になった。

中性子線を照射する実験室内には中性子線の発生源となる物質から継続的に中性子線が発生していて、対象物質からの放射線放出が終わったのかどうか判定できないのである。そこで、フェルミは今まで実験室として与えられていた部屋から階段室を隔てた部屋を借り受けて実験を行うことにした。対象物質の中性子線照射の後、フェルミ陸上競技のリレーのバトンタッチの要領で仲間の科学者から物質が入った試験管を受け取り、中性子線照射を行う実験室を出て階段室を抜けて向かいの部屋にあるガイガー計数管で放出されている放射線の強さと中性子線照射後から放射線放出が停止するまでの時間を計った。フェルミの実験チームの中で陸上選手の経験がある者は正教授でチームのリーダーであるフェルミだけだった。ローマ大学の大学史上最年少で終身教授の地位に就いたという栄えある理論物理学の権威のフェルミ教授に面会に来た者は「閣下(エクセレンツァ)」と呼ばれているフェルミが作業服に身を包んで気違いのように研究棟の二階の一室から別の一室に駆け抜けるのを目にして度肝を抜かれた。

 

つつましい公務員の家庭に生まれたフェルミは作業服を着て走り回らないまでも、虚飾が元より嫌いだった。当時、すでにイタリアを席巻していたムッソリーニファシスト党は派手な国家的行事などを好み、イタリアの皇太子の結婚式典が行われた日には著名な学者などが全て披露宴に招待され、フェルミも招待されていたが、その日もフェルミ中性子線照射の実験に余念がなく、皇太子の結婚披露宴に威儀を正して出席するつもりなど毛頭なかった。そこでフェルミは一計を案じ、研究所に出勤する時間になるといつもどおりに作業服に身を包むと結婚披露宴の招待状を服のポケットにねじ込み、自家用車を運転して祝賀パレードの交通規制が始まっているローマの市街を通っていつもどおりに研究所に赴いた。警官の制止を受ける度にフェルミはポケットから結婚披露宴の招待状を取り出して「自分は閣下(エクセレンツァ)のお抱え運転手でこれから閣下を迎えにいくところです。」と言って交通規

制を潜りぬけた。

 

フェルミ原子番号一番の水素から九十二番のウラニウムに至るまでの全ての元素に中性子線を当てて

その結果を調べるつもりでいた。当初フェルミはジョリオ=キューリー夫妻と同様にポロニウムから照射されるアルファ線ベリリウムに当てることによって中性子線を発生させたが、後にポロニウムの代わりにラドンを用いることにした。

 

原子番号八十六番の不活性ガス、ラドンは天然には存在せず、化学反応を全く起こさないラドンを得るためにはラジウムが崩壊する過程で生じたラドンを集めるしかなかった。フェルミらはラジウムが保管されている場所に赴いてはこの重たいガスを収集して実験に供した。フェルミらは原子番号一番の水素から二番のヘリウム、三番のリチウムと実験を重ねたが、自身で実験室間を走り回る努力やフェルミ自らが作った特別製のガイガー計数管の使用などにも関わらず反応はなく、原子番号九番のフッ素に至ってようやく感知できる有効な反応が現れた。この間、フェルミと共同研究者たちは簡単には手に入らない希少な元素を集めて実験を行うことにした。実験室内にない他の元素について実験を行うため、フェルミローマ大学工学部大学院から物理学大学院に転向させて自分の助手に採用したエミリオ・セグレにリュックサックを持たせ、「化合物でも何でもいいから街に行って買って来い。」と命令した。

「鉄は二時間、珪素は三分、燐は三時間、バナディウムは五分、銅は六分、砒素は二日・・・。」こうしてフェルミ中性子線照射を受けて放射線を新たに放出する元素としない元素、そして放射線を放出する元素に関しては放射線放出の強さと継続時間を把握していったxviii[2]。

(読書ルーム(41) に続く)

 

【参考】

エミリオ・セグレ (ウィキペディア)