【読書ルーム(25) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第1章  プロメテウスの揺籃の地 19/27. 〜 ハイゼンベルクの青年時代〜 ボーアとハイゼンベrク】  作品の目次

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【本文】

ハイゼンベルクはボーアのもとで若干の不満はあっても概ね幸福に暮らせるだろうと思った。その若干の不満というのは、ハイゼンベルクデンマーク語を覚えさせようとしたボーアが研究所内ではなく一般のデンマーク人の家にハイゼンベルクを下宿させるようにはからったこと、そして、理論にすぐれているばかりかデンマーク語とドイツを含めた数ヶ国語に堪能なクラメルという若いオランダ人物理学者が常にボーアに付き従っていたことである。ハイゼンベルクよりも五歳年上のクラメルは、ボーアともう一人スレーターという名の物理学者の三人の名前の頭文字を取ったBKS理論なるものを発表していた。ハイゼンベルクが自分より年長ではあるが同世代に属するクラメルに嫉妬を覚えたのも無理はない。ハイゼンベルクコペンハーゲン到着後しばらくの間はボーアの関心を独占したいと思った。そこでクラメルが学会でコペンハーゲンを留守にしている時を狙い、大学の夏期講座の季節が終わった直後ではなく、ロックフェラー財団が指定した日よりかなり後の九月十七日にコペンハーゲンに到着した。そして再びコペンハーゲンの地を踏んだハイゼンベルクはクラメルがコペンハーゲンに戻るまでの間、短い夏が終わって目くるめくような速さで秋へ、そして冬へと季節を変貌させるデンマークの風土に囲まれ、ハイゼンベルクは憧れの師ボーアを思惑どおり独占し、前年に発表されたド・ブロイの新理論、それに対するボルン教授の問題提起、そしてボーアが完成した原子モデルなどについてボーアに間断なく語りかけて自らの視座を開拓しようとした。

 

秋の早い夕暮れ時、ボーアとハイゼンベルクの二人はゲッチンゲンで最初に出会った時のように肩を並べて研究所の裏に広がる広大な公園を散策し、原子という極小の世界にも満ち溢れている自然の神秘を語り、極小の世界の法則を掌握すべく熱い議論を戦わせた。ニュートンは「リンゴは風もないのに木から落ちるのに月はなぜ空から落ちないのだろうか。」という疑問をつきつめて古典力学を完成したが、ボーアとハイゼンベルクには「負の電荷を帯びた電子は正電荷を帯びた原子核の周りを回るが、なぜ電子は原子核に引き寄せられないのか。」「元素の周期律表上では原子番号が八増えるごとに性質が似た元素が現れるが、なぜ八なのか?」等々、それに対する何らかの合理的な説明が得られれば極小の世界に関する人類の知識水準が飛躍的に高められる可能性が期待できるような考察課題が山ほどあった。

 

ハイゼンベルクはボーアの別荘にも招待され、二人は別荘からほど遠くない、シェークスピアの悲劇で一躍有名になったハムレットの居城、エルシノア城を尋ねて宇宙の闇と人の心の暗黒を感じた。ハイゼンベルクにとってボーアは、性格の違いのためにそりが合わず互いに打ち解けることがなかった実の兄の存在を補って余りあった。ボーアはハイゼンベルクの兄であり、友人であり、師であり、導き手だった。

 

間もなく北国の長い冬が訪れ、ハイゼンベルクはしばしばボーアとクラメルと共に炉辺に腰を落ち着け、心ゆくまで極小の世界の理論や物質や量子の本質について語り合った。そして、クリスマスが近づき、ハイゼンベルクが両親のいるミュンヘンに一時帰郷して不在だった時、ボーアは新しい論文を執筆中だったクラメルを側に呼ぶとこう言った。

 

「今、君が書いている論文はハイゼンベルクとの共同研究の結果として連名で発表しなさい。」

ボーアが完成させた原子モデルの理論を発展させ、原子核の周囲を巡り化学反応の基礎となる電子の動きを説明することがハイゼンベルクのかつてからの夢だったが、電子の動きを天体の動きになぞらえて古典力学と同様な説明を加えることに疑問を覚えていたハイゼンベルクはボーアのもとで研究を開始してから古典力学決定論的な考え方に対してさらに疑問を深めるようになっていた。ハイゼンベルクはさらに師のボーアがクラメルらと共同で発表したBKS理論へも疑問を唱え、ハイゼンベルクの鋭い指摘の前にボーアは終にBKS理論に関してハイゼンベルクに対する敗北を自ら認めた。ハイゼンベルクは憧れの的だった師のボーアの水準に迫りつつあった。

原子核の周囲を巡る電子は闇の中から突然現れ、認識のかなたへと消え去っていく。原子核の周囲を巡る電子は太陽の周りの楕円軌道を規則正しく巡る惑星とは異なり、ある時は原子核に近づき、またある時は突如として原子核をから離れ、一定の方程式によってその動きを予測することはできない。」ハイゼンベルクはこのような考え方に基づいて、極小の世界を表現するための理論を構築しようとしていたのである。

(読書ルーム(26) に続く)

 

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