【『プロメテウス』第1章 プロメテウスの揺籃の地 14/27. 〜 ハイゼンベルクの青年時代〜 ゲッチンゲン大学】 作品の目次
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【本文】
ゲッチンゲンのボルン教授のもとに到着してからの学究生活はハイゼンベルクにとって驚きの連続だった。
「ここでは物理学者たちは物理学よりも数学に興味を持っているようだ。ここに来たら物理学はつまらない学問だと印象を持つ人もいるだろう。物理学者たちはみんな数学を応用できる分野をやっきになって探しているけれど、そんなことが可能な分野は陳腐でしかない。」とハイゼンベルクは思った[6]。また、ミュンヘンでは物理学、とりわけ原子物理学の理論は実験によって観測された事実によって構築されていたのに、ゲッチンゲンでは天体の動きになぞらえ、数学を当てはめて量子を解析するのが専らだった[7]。ボルンを中心としたゲッチンゲン大学の理論物理学者らのこのような傾向に走るのも無理はなかった。当時、ゲッチンゲン大学ではジェームズ・フランクのように伝統的な実験分野で業績を挙げた物理学者だけではなく、数学史に名前を連ねるような数学者が数多く教授を務めていたのである。古典物理学が完成されたと考えられ、量子論や原子物理学、そして相対性理論の発表によって物理学に新たな天地が開拓される機運が察知された後、ゲッチンゲン大学の物理学者は、分子構造の解析によって後にノーベル化学賞を受賞することになるペーター・デバイのようにフリッツ・ハーバーに倣って化学寄りの理論に傾倒するのでなければ、数学から物理学の新分野を開拓するためのできる限りを汲みつくそうと努力していたのである。ハイゼンベルクはこうも思った。「でも、数学と天文学をきちんと勉強するのにはいい。」
夏季講座でのニールス・ボーアとの出会いに引き続いて、ゲッチンゲン大学のこのような動きに曝されたことは大学に入って三年目のハイゼンベルクに大きな影響を及ぼした。ハイゼンベルクは電磁力学、熱力学など、実験観測が比較的容易な伝統的な物理学の学習はそこそこに、極小の世界を探求する原子物理学にのめり込み、あたかもデッサンの習練を積む前に抽象画を描き始めてしまった画家のように実験分野から遠ざかっていったのである[8]。
秋が深まり、生まれて始めて長期に渡って親元を離れたハイゼンベルクは共にキャンプ・ファイアーを囲んだ故郷の仲間が忘れられず、ホームシックにかかっていたが、その時、ニールス・ボーアのノーベル物理学賞を受賞決定が発表され、心から嬉しく感じた。ボーアのノーベル賞受賞の対象となった業績は原子モデルの構築だった。前年に受賞講演を行うことができなかったアインシュタインがボーアと並んで、一年遅れでノーベル賞受賞講演を行ったが、アインシュタインは相対性理論ではなく光電効果に対してノーベル賞を授与したスエーデン王立アカデミーに対して挑戦するかのように「相対性理論の基本的考え方とその問題点」という題の講演を行った。悠久の宇宙に思いを馳せて相対性理論を打ち立てたアインシュタインと極小の世界を探求したボーアとは前後してスットクホルムでノーベル賞講演を行い、その後十年以上にわたる間、物理学界において理論上の好敵手、そして双璧として君臨することになる。尊敬するボーアが原子模型によってノーベル賞を受賞したことにより、ハイゼンベルクは一層、原子物理学と量子力学に傾倒し、各元素の化学性質を決定する電子の動きを体系的に把握することがハイゼンベルクの最大の関心となった。
戦勝国に対する巨額の賠償金に喘ぐドイツの経済はその頃、破綻の兆候であるインフレーションを更に加速させていた。ハイゼンベルクの父は、息子ヴェルナー・ハイゼンベルクがゲッチンゲンに移ると共に月々八千マルクの送金を開始したが、学費と下宿代が固定しているのに対して、冬を凌ぐために不可欠な燃料の費用が高騰していた。冬になる前に父ハイゼンンベルグはヴェルナー・ハイゼンベルクへの送金を月一万マルクに引き上げなければならなかった。しかし、ハイゼンベルクの生活費の問題は年が明けると同時に解決した。ボルン教授がハイゼンベルクを助手に採用し、ハイゼンベルクはアメリカ人篤志家の寄付による財源から月々二万マルクの給与を受け取ることになったからである。
その頃、ハイゼンベルクの親友で相談相手でもあったパウリはコペンハーゲンのボーアのもとで研究に励んでいた。ハイゼンベルクはパウリとボーアの両方に原子核の周囲を巡る電子の動き、とりわけいわゆる閉核を形成して化学的に不活性なヘリウムの原子の構造の解明に取り組んでいることを告げる野心的な手紙を書き送った。ハイゼンベルクはすでに原子核の周囲を巡る電子の軌跡の不連続性に着目し、ニールス・ボーアが完成した太陽の周囲を惑星が巡る太陽系の図のような原子模型に天文学で用いられるのと同様な力学方程式を当てはめることに疑問を感じ始めていた。ハイゼンベルクが科学史上に名を残すことになるいわゆる不確定性理論の構築に第一歩を踏み出そうとしていた頃、ドイツのフランスに対する賠償金の支払いが滞り、フランスはドイツの一大工業地帯であるルール地方を割譲するようドイツに迫った。
(読書ルーム(21) に続く)
【参考】
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