【読書ルーム(17) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』第1章  プロメテウスの揺籃の地 11/27. 〜 ハイゼンベルクの青年時代〜 隆盛を極めるドイツの学府(4)】  作品の目次

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【本文】

ドイツの首都ベルリンに目を転じてみよう。ドイツの政治、経済、学問、芸術の全ての中心であるこの都市では、化学においてはアンモニアの合成によって一九一八年にノーベル化学賞を受賞したフリッツ・ハーバー、物理においては量子力学創始者としてハーバーと同じ年にノーベル物理学賞を受賞したマックス・プランクがそれぞれの分野の中心として君臨して尊敬を集めていた。プランクの高弟で後にX線による金属分子構造の研究によってノーベル物理学賞を受賞することになるマックス・フォン・ラウエと平和運動シオニズム運動で世界各地を飛び回りながら理論研究を続けているアインシュタインとは、アインシュタインがスイスの特許局の下級官吏だったころからの無二の親友だった。

 

マックス・フォン・ラウエの門下にはハンガリー出身で後にアメリカに移住するユダヤ人学生のレオ・シラードがいた。シラードはドイツと共に第一次世界大戦を戦って敗北したハンガリーが国土の大半を失った後、小国となったハンガリーの動乱を嫌ってベルリンに赴き、マックス・フォン・ラウエの指導の下で熱力学を研究した。シラードはアインシュタインと同様の夢想家だったが、シラードの空想力はベルリンにおいて冷蔵庫の原理となるガス冷却システムの考案など、専ら応用分野における発明に生かされた。シラードがフォン・ラウエの紹介で知り合った、数世紀に一人出るか出ないかの大夢想家アインシュタインとは二十歳近い年齢差を越えた友情と信頼関係を結び、それは二人がナチスに追われてアメリカに逃れた後も終生変わらなかった。

 

アインシュタイン、フォン・ラウエ、シラードの三人のうちフォン・ラウエだけがキリスト教徒でアインシュタインとシラードはユダヤ教徒だったのであるが、宗教の違いを超えた友情と信頼関係はフォン・ラウエらが籍を置いていたベルリン大学においてだけではなく、ベルリンの国立カイザー・ウィルヘルム研究所の実験室でも輝かしい学問業績として結実しつつあった。

(読書ルーム(18) に続く)

 

 

【参考】

マックス・プランク (ウィキペディア)

マックス・フォン・ラウエ (ウィキペディア)

レオ・シラード (ウィキペディア)

 

 

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