【読書ルーム(6) プロメテウス達よ- 原子力開発の物語】

【『プロメテウス』プロローグ 6/6 〜 フリッツ・ハーバー第一次世界大戦】  作品の目次

この記事の内容全ての著作権はかわまりに帰属します。

 

【あらすじ】

第一次世界大戦勃発に際してフリッツ・ハーバーが思ったのはドイツは科学的に、そして出来る限り早期に戦争に勝たなければならないということだった。この為にハーバーは毒ガスを合成し、自ら指揮して独仏国境の最前線でフランス軍に対して毒ガスによる攻撃を行う。

 

【本文】

第一次世界大戦が始まるとフリッツ・ハーバーは科学の知識によって祖国ドイツを勝利に導くべく戦争に加担しなければならないと考えた。科学によって祖国ドイツの工業国としての地位を高めたハーバーは科学の力によってドイツを勝利に導くこともできると信じていた。アンモニアの合成を成功させ、化学肥料の合成という画期的な事業を産学協働によって実現させた後、ハーバーは戦争において官学協働を是非とも実現させたいと思った。ハーバーは前線で使用する兵器を化学的に作り出すことにした。

​一九一五年四月半ば、ハーバーは若い化学者の助手数人を伴い、ドイツ軍とフランス軍が一発触発の状態で睨みあっているベルギーのイプレスに赴いた。ハーバーは手際よく兵士たちを指図し、塩素系毒ガスが詰まった各々の重さが百キロ近くあるシリンダー約五千本を五キロにわたる前線に配備した。一九一五年四月二十二日はイプレスの前線に駐屯した多数のフランス=アルジェリア兵にとって悪夢の一日だった。ハーバーの掛け声によって配備されたシリンダーから噴出した塩素系毒ガスは一万五千名のフランス兵を殺傷した。このうち死者は約五千名だった。命からがら逃げ延びた兵士を含め、全兵士が武器を使用可能な形で後に残し、ハーバーはこの軍功によって大尉に任命された。

​ドイツ軍による毒ガス攻撃は英仏側に大きな衝撃を与えた。毒ガスの使用はハーグ会議で二度にわたって批准された国際法に違反していた。しかしハーバーは「戦争の早期の終結が流血を最少限に留める。」と毒ガス攻撃を正当化し、部下の科学者たちには「敵軍も戦線で同様の兵器を使用している。」と言って毒ガス合成を促した。ハーバーはこの戦争においてドイツは「科学的」に勝利を納めなければならないと考えていた。英仏は実際にはハーバーの毒ガスによって攻撃を受けるまでは毒ガスの使用などは思いもよらなかったのである。しかし。イプレスでの大量殺戮を目の当たりにした英仏の将校らは化学兵器製造の必要性を認識し、政府当局に毒ガス開発への援助を要請するに至った。そしてその結果として、戦争終結までに同盟国側と連合国側であわせて二十種類余りの毒ガスが開発され、化学兵器の使用における双方の力は拮抗した。ただ、敵国に対する憎悪は最初に毒ガスによる攻撃を受けた側のほうがより深かった。また国を問わず、伝統的な戦闘に長けた老練な兵士らは、化学兵器の使用を卑怯な手段だと考えて憎んだ。

イプレスでの「功績」の後、ハーバーは一時帰宅を許され、自宅に知人らを招いてハーバーの大尉への昇進を祝う集まりが催された。ところがハーバーが帰宅中の四月三十日、ハーバー家の隣人はハーバーの家の中でハーバーとその妻クララが激しく口論をしている声を聞いた。その翌日、ハーバーの家の中で一発の銃声が鳴り響いた。ハーバーとその息子、そしてハーバー宅に滞在していた知人らがあわてて駆けつけるとハーバーの妻クララが胸に銃弾を受けて虫の息で横たわり、脇に弾丸を放ったばかりの拳銃が落ちていた。クララは息子の腕に抱かれて息を引き取った。その翌日ハーバーは東部戦線に向かったが、ハーバー夫妻を知る者は、ハーバーの妻クララはハーバーが戦線で毒ガスを撒くことに抗議し、自殺を図ることによって科学者としての使命を全うしたのだと噂した。

世界大戦でヨーロッパの多くの女たちが夫を失ったがフリッツ・ハーバーは妻を失った。もっとも妻クララを失った二年後、戦争が終わる前年にハーバーは亡くなった妻よりもはるかに若い女性と再婚したのではあるが・・・。ハーバーが第一次世界大戦中に合成した毒ガスには塩素系や砒素系のものがあるが、このうち「チクロンB」という名前で知られる砒素系の毒ガスは次の世界大戦中にナチスによってユダヤ強制収容所で使用されることになる。

一九一八年十月末、かねてから戦争の目的を疑問視していたドイツ海軍の水兵らが反乱を起こし、オーストリア、イタリア、トルコなどが降伏した後も世界大戦を最後まで戦っていたドイツの軍隊は総崩れとなった。十一月十一日、ドイツは講和条約を受け入れて第一次世界大戦終結した。同盟国四カ国と協商国二十三加国の間で戦われたこの戦争は、約一千万人の戦死者、数千万人の戦傷者、五百万人に上る一般市民の死傷者と直接戦費千八百億ドルを費して終わった。翌年初めに行われたベルサイユ講和会議では無賠償、無併合、民族自決などの高らかな理想と国際連盟の結成が定められたが、結局、国際連盟にはアメリカ、ソビエト、ドイツなどは参加せず、ドイツが千三百二十億ドルという当時としては天文学的な額の賠償金を支払うよう、戦勝国であるフランスとイギリスが一方的に決定して戦後体制が確定した[v]。

 

*          *

ドイツの敗北によって世界大戦が終結した一九一八年にはドイツ人の科学者がノーベル物理学賞と化学賞を受賞した。物理学賞を受賞したのは量子力学を創始したマックス・プランク、化学賞を受賞したのはアンモニアの合成法を考案した他ならぬフリッツ・ハーバーである。ノーベル賞受賞講演においてハーバーは、それまでは豆科の植物の根に付着する根粒細菌に頼るか鉱産物として得ることしかできなかった窒素化合物の肥料を空気中の窒素の人工的な固定によって生産できるようになった意義について熱っぽく語った。ハーバーはこの発見が農業生産の拡大をもたらし、人類に大きな恩恵をもたらすであろうと述べて、科学の力による人類の大きな進歩の可能性を高らかに唱えた。

読書ルーム(7)プロメテウスの揺籃の地 に続く)

 

【注】

クララ・イマーヴァール(ウィキペディア フランス語読み)  またはインマーヴァルト (URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB?wprov=sfti1)によるとハーバーの妻クララが自殺を図って絶命した場所にハーバー自身は駆け付けなかったという。これが真実ならばこの下りは書き直す必要がある。しかしわたしはあえてこのままにしておく。何故ならば、現場を目撃した者ば誰一人として存命せず、また修正が必要なほどの重大事とは考えられないからである。

 

【参考】

マックス・プランク (ウィキペディア)

 

【解説】

プロローグ でわたしが描きたかったのは3人の科学者の第一次世界大戦に際しての態度である。改めてまとめておこう。

1. マリー・キューリー: 負傷兵の命を救うためにできることから手を打った。第一次世界大戦では両陣営で未曾有の約1000万人にのぼる兵士が命を失ったが、またキューリーが考案したレントゲン車によって命を救われた兵士も数多いと考えられる。大戦終了時に前線で稼働していたレントゲン車の数から彼女の発明家としての成功と同時に近代的兵器を用いた世界大戦の規模に比べて彼女の努力がむしろ微々たるものだったことをうかがい知ることができる。

2. 青年期に無国籍の数年間を中立国のスイスで過ごし、当時は後進国と目されていたバルカン半島出身の女性とむすばれたコスモポリタンであるアインシュタインは偏狭な民族主義や利権を排し、博愛主義と人類平等の見地から平和を提唱するが当時のドイツの首都ベルリンでは人々は聞く耳を持たず。アインシュタインは時代に孤立していった。

3. 自らの家系の伝統だったユダヤ教を捨ててキリスト教に改宗したフリッツ・ハーバーはドイツとドイツ文化に深く心酔していたと思われるが、第一次世界大戦に際して彼が取った行動は毒ガスを合成してドイツを科学的に勝たせること、すなわち敵兵を殺戮することだった。

 

読者の皆様はこの3人の生き方をよく心に刻んで欲しい。第二次世界大戦前後で原子力開発に従事した科学者たち、いわゆるプロメテウスたちはこの3人の立場のいずれか、あるいは複合した立場を取った者がほとんどである。また、時間を経るうちにひとつの立場から他の立場へと態度を改めた科学者もいる。特筆すべきなのはマリー・キューリーにおいてはこの態度を取ったことで娘イレーヌとの距離が縮まり、史上唯一の母子でのノーベル賞受賞(親子での受賞も数えるほどしかない)の快挙がもたらされ、アインシュタインでは直接の原因とは言えないまでも彼の煮え切らない態度によって家庭が崩壊し、ハーバーにおいてはかれの取った姿勢と行為が明確に家庭崩壊の引き金になったことである。さらには第二次世界大戦の前夜にはアインシュタインが憎んだ偏狭な偏見が彼自身に対して向けられ、ハーバーに至っては彼が作った毒ガスによって彼自身の旧同胞だったユダヤ人が虐殺されるに至ったのである。

 

第一章は別の角度から物語を進めていく。

 

 

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